ブラオ級、ブラオエダーメの艦長フリッツ・ハインリヒ=ニーデルベルクは、敵艦の動きを監視していた見張りからの報告に、いささか目を丸くした。
「敵艦が、前方岩礁群に向かって全速前進を開始した……?」
反芻し、刈り込んだヒゲを撫でる。隣に控える副長が小さな声で、
「何が目的でしょうか?」
「さてな」
答える。分からないが、その動きは不可解そのものと言えた。
ブラオ級が機動力に特に優れている、というのは、最早国際常識である。
そのブラオ級を巻かんとばかりに、岩礁群に突っ込んでいく反乱軍旗艦。
「……どの道、逃げ切れるものでもあるまい」
ニーデルベルクは、そう結論を声に出すと、艦長席のすぐ前にいる操舵士に命じた。
「敵艦を追え! あんな旧型の艦で、このブラオ級の最新鋭艦から逃げられるはずがない!」
§
艦のすぐ脇を、衝突してしまうのかと危惧するほどスレスレに、岩礁が後方へと流れていく。
「敵ブラオ級、追ってきます!」
艦橋から身を乗り出して告げてくるクルーに、ビュウは手を上げて応えた。
乗ってきた。
「さぁ、作戦開始だ!」
ビュウたちを乗せた戦竜全六頭が、ファーレンハイトの甲板から飛び立ち、速やかに離脱した。
§
「敵兵が、母艦から離脱?」
見張りからもたらされた報告は、更にあり得ない状況を示すものだった。
反乱軍は、カーナ戦竜隊をその母体としている。だから、短距離の移動手段に戦竜を使う事自体、まるで不思議はないのだが――
「もしや、こちらに乗り込んでくる気では?」
「かもしれぬな。
総員、戦闘配備! 敵部隊の侵入に備えよ! 三、四、五、六番砲台は飛行中の敵部隊に照準合わせ! 残り八門は、全て敵艦に向けろ! 操舵士、敵艦の後背につけろ!」
艦の外壁に設置された機関砲台に砲手が着き、砲撃を開始した。
§
何が一番苛立つか、と言えば、操舵に神経をすり減らしているまさにその時に、クルーが要らない報告をしてくる事である。
「機関室より警告! 機関部の熱急上昇! オーバーヒートまであと五分、持ちません!」
「持たせろ! ここが正念場だ!」
ホーネットはそう叫び返すと、操舵輪を大きく右に切った。艦首が右へと逸れ、前方の岩礁と微かに接触しながらも、衝突を免れる。大丈夫。これくらいなら大した損害ではない。まだ行ける!
岩礁と岩礁の狭い間隙を縫うようにギリギリの機動で巡航させながら、ホーネットは舌打ちする。
『あんたなら出来るだろ?』
出撃する直前の、あの戦竜隊隊長の小憎らしい言葉。そんな風に言われては、出来ない、などと言えるはずもない。
だが、その実際は! ファーレンハイトに無駄に負担を掛けるだけの戦闘巡航。こんな機動、この艦の本性ではない!
だが、そんな事を恨めしく思っている場合でもない事は、ホーネットも承知している。何故なら彼は、プロフェッショナルだからだ。
「敵艦は!?」
「敵ブラオ級、こちらにピッタリとついてきます――攻撃を始めました! 狙いは、ファーレンハイト及び戦竜隊!」
そこまで分かれば十分だった。
ホーネットは再び自分の仕事に専念した。
§
高速で飛び回る戦竜を、ブラオ級の艦砲射撃が襲う。
が、実際のところ、それらは全て外されていた。当然である。艦砲で戦竜を狙う事、それはすなわち、弓矢で飛び回るハエを射抜く事に等しい。そんな芸当、達人ならさておき、グランベロスの砲手には無理だ。
「……さて」
ムニムニから振り落とされないようにしがみつきながらも、ヨヨが漏らした声は、ひどくのんきなものだった。
「そろそろ、頃合いかしら?」
そして、ムニムニは左に大きく旋回していく。
§
敵艦には中々追いつかない。
ブラオエダーメの周囲を飛び回る敵部隊にも砲撃は当たらない。
そんな閉塞した状況に、ニーデルベルクは唇を噛んだ。
さすがはカーナ戦竜隊、と言うべきか。このブラオエダーメすら翻弄する機動力は、確かに音に聞こえただけある。
だが――
「艦長! 敵艦、捕捉しました!」
「斉射開始!」
母艦を失っては、どうしようもあるまい。
§
「航空士、来ます!」
「行くぞ! 総員、どこかに掴まれぇっ!」
ホーネットは、ファーレンハイトを急上昇させた。
§
「何……!?」
ニーデルベルクは、目の前で繰り広げられた光景に目を剥いた。
「まさか……そんな……あのタイミングで!?」
絶好のタイミングで放たれた砲火が、まさか全弾外れるとは!
だが、急上昇した敵艦は、それ以上動けないように見えた。さすがは老朽艦、オーバーヒートを起こしたか。
それを逃す馬鹿はいない!
「砲術長! 今度こそよく狙え! ここで外したら、皇帝陛下の威光を地に落とすものと思え!」
「はっ!」
「よし、ぅて――」
「艦長!」
見張りが艦橋に駆け込んでくる。発射合図を遮られたニーデルベルクは、怒色満面で振り返る。
「何だ!?」
しかし、見張りも負けていなかった。
そしてもたらされた報告は、こちらを青ざめさせるに十分だった。
「敵部隊、一つ減少しています! カーナ王女の部隊です!」
「何だと……!?」
無数の会敵報告書に記された共通の警告。
カーナ王女ヨヨは、強力な召喚魔法を用いる。その威力たるや、一個大隊を容易に壊滅させられるほど。
しまった。
「来るぞ! 回避ぃっ!」
§
敵ブラオ級の背後を取ったヨヨは、センダックと共に、高らかに声を張り上げた。
「来たれリヴァイアサン! かしこにてその神威を示さん事を!」
ヨヨたちと敵ブラオ級の、ちょうど真ん中の空間に、この空よりも尚真っ青な蛇が出現する。
いや、それは蛇ではない。水と氷の支配者、神竜リヴァイアサン。
リヴァイアサンはその口を軽く開けると、白く輝く吐息をフゥッ、と優しく吐き掛けた。
§
身を固くして待っていた衝撃が、いつまでも訪れない。
それに気付いて、ニーデルベルクは恐る恐る目を開いた。
……何も。
何も、変わっていない。
「か、艦長……?」
「どうやら、しのげた……のか?」
そのようだった。彼は詰めていた息を吐き出すと、すぐに頭を切り替えた。そして、状況把握に務め――
前方に迫る岩礁に気付き、叫んだ。
「面舵四十、回避!」
「――艦長! 舵が、舵が効きません!」
「何だと……!?」
それが何故か。それに思いを馳せる前に。
ブラオエダーメの艦橋に、岩礁の一つが衝突。
艦橋を粉々に砕かれたブラオエダーメは制御を喪失。直後、違う岩礁へと衝突し、大破。空の底へと沈んでいった。
§
ブラオ級の運命は、自艦の機動力を驕(おご)った時に決まったのである。
その機動力が殺された時、自艦がどうなるか。おそらく考えた事もなかっただろう。
ビュウの作戦は、そこを突いた。
ブラオ級の攻撃を戦竜たちに、追跡そのものをファーレンハイトに、それぞれ振り分け、岩礁群の深部まで深追いさせる。
そして、頃合いを見計らい、ヨヨとセンダックがヴァイアサンを召喚。艦尾のみを凍らせ、舵を殺す。
ファーレンハイトを追う事に躍起になって速度を上げすぎたブラオ級は、その速度を殺す事も、艦首を方向転換する事も出来ず、猛スピードのまま岩礁に衝突。大破したわけである。
確かに、こういう戦闘において、敵部隊の母艦を先に潰す事は有効だと言える。
母艦が沈んでしまっては、部隊は帰還する場所を失う。そうなった部隊の行く末は一つしかない。
これが、定石である。
相手はそれを確実に踏んでくるだろう、というビュウの読みは、見事に的中したのだった。
「にしてもよぉ、ビュウ」
「何だ、ラッシュ」
散々飛び回って疲労困憊した戦竜たちの世話に勤しみながら、ビュウはラッシュの言葉に、やや生返事気味に応じる。
「こんなまどろっこしいやり方じゃなくてもさ、もっと簡単に沈められる方法ってあったんじゃねぇか?」
「例えば?」
「姫様と老師に、艦橋を直接攻撃してもらう、とかさ――」
「アホかお前」
間髪入れずに返すと、ラッシュはあからさまにムッとした。そして、案の定分かりやすい反論をしてくる。
「だってそうじゃねぇか! 姫様にやってもらえば、ファーレンハイトも立ち往生しなくて済んだし、サラたちだってこんなくたびれなくて済んだだろ!」
「代わりに殿下が寝込む。知ってたか? フルパワーの神竜召喚は、殿下の玉体にそれだけ負担を掛ける」
グッ、と押し黙るラッシュ。そこを、ビュウは畳み掛ける。
「殿下のお体に負担が少ないように、という条件下じゃ、あの威力が限界なんだ。
大体、俺たちが殿下のお力を当てにしてどうする? 普通、反対だろうが」
「……まぁ、そりゃ、そうだけど」
「この話はこれで終わりだ。口じゃなく手を動かせ」
「アニキ〜、持ってきたよ〜」
と、艦内からビッケバッケが出てきた。両手にクッキーやらワインやら、甘いものばかり。疲れを取るなら甘いもの。常識だ。
「そうそう。それから、機関室見てきたけど、エンジン直るのまだ掛かりそうだって」
「そうか……」
ビッケバッケから戦竜の餌を受け取りながら、ビュウはふと考えた。
そろそろオーバーホール時だろうか?
でもそうなると、結構な金が掛かる。財布と相談しなくては。
何はともあれ、エンジンが復旧するまで動けない。ちょうどいい休息だ。
オレルスの空は、今日も今日とて穏やかである。
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