ヘンリー=ストーンはオレルス反乱軍旗艦ファーレンハイトのクルーである。
担当業務は庶務。その内容は多岐に渡る――掃除、洗濯、皿洗い、補給物資の搬入、エトセトラエトセトラ。いつでも人員不足のファーレンハイト運用クルー、艦橋担当や機関室担当などの専門職クルーたちの手の回らないところは全て、ヘンリーを初めとする雑用、もとい庶務担当クルーの仕事であった。
そしてそれ故に、ヘンリー=ストーンは反乱軍の中心とも言える戦闘員たちと、比較的距離が近かった。
ヘンリー=ストーンがある内職に手を染めている事は、反乱軍内では周知の事実であり、公然の秘密であり、幹部たちに黙認されていた。
その内職とは、いわゆるエッチな本の販売である。決して正規業務と認められない、いわば闇本屋が公然とまかり通り、かつ、反乱軍の会計担当であるビュウ=アソルに黙認されているのには、二つの理由があった。
一つは、ヘンリーがエッチな本の販売において決して反乱軍会計に負担をかけず、それどころか売り上げを――僅かではあるが――還元している事。
もう一つは――こちらの方がビュウとしては余程重要時だった――、それが反乱軍男性人の性的暴走を抑えるのに非常に有効だった事。
何せ、反乱軍戦闘員の中核を成す野郎連中のほとんどは、ビュウも含めて十代後半から三十代前半。若く血気盛んで、ついでに言えば性欲もあり余っているような連中ばかり。そんな奴らが、一度出航してしまえば次の寄港地まで女遊びの出来ない共同生活を送っているのだ。きちんと注意を払い、適切な対策を取らなければ、野郎連中の半分くらいがケツの穴に何かしらの不安を抱え、最悪、痔やそれ以上に厄介な病気の蔓延を許す事になる。
それだけならまだしも、反乱軍には女性もいる。放っておいたら彼女たちが性的暴走の被害に遭いかねない。強姦、性病、望まぬ妊娠、中絶、処置を間違えての不妊症、最悪の可能性としての死。そんな事態の発生を手をこまねいて待つ幹部はいない。
強姦、駄目、絶対。
というわけで、ここでエッチな本の出番である。実に下世話な言い方をすれば、「溜まったらこれで抜いて落ち着いとけ」である。これで反乱軍の行動の障害になりそうな下半身事情が解消できるなら安いものだ、とケチンボ会計が隈のある顔で算盤弾いて疲れた笑みを浮かべたとか、そうでないとか。
まあ、その辺は割りとどうでもいい話である。
この内職故に、ヘンリー=ストーンは反乱軍の男たちから信頼を得ていた。
切り出すまでが難しい、しかし一度切り出し共有してしまえば「ああ、こんな事だったのか」と笑い飛ばしてしまえる、それが下半身事情というもの。ヘンリーは独身男たちの女の好みを知り、それに適したエッチな本を提供し、需要を獲得する事で、寂しい彼らの強い味方になっていった。
そうしていつの間にか、ヘンリーは彼らから日常の瑣末な相談事までされるようになる。それは例えば、ウィザードのあいつが気になる、だとか、同じランサーのあいつと喧嘩しちゃった、だとか。
人をよく見て、まめに気遣うのがヘンリー=ストーンという男である。話をよく聞き、その観察眼から導き出した的確なアドバイスによって、更に信頼を厚くしていった。
そんなヘンリー=ストーンであるが、本職はもちろん、闇本屋でも悩める野郎どもの人生相談でもなく庶務である。
今日も彼は庶務担当クルーとして、寄港地の商人から買いつけた物資の搬入作業に携わっていた。
現在の寄港地はマハール。これから反乱軍は、病に伏せる指導者ヨヨの治療のためにゴドランドに向かう。それは当初の予定とは若干違うらしいが、その辺の事情は幹部たちのものなのでヘンリーは余り興味がない。どちらにしろ、また何日も港に寄港できないのだ。食料や水などはきっちりしっかり補給しておかないといけない。
物資搬入作業の際に音頭を取る先輩クルーの指示に従い、ヘンリーや他のクルーたちは今回の補給物資リストと照らし合わせながら作業を進める。その荷物の中にこっそり紛れ込ませる形で入荷した新作のエッチな本。この本はラッシュさんに、こっちはトゥルースさん向けかも、と先輩の目を盗んでチェックし算段するヘンリーは、紐綴じの大きな書類袋を見つけた。
それは、反乱軍の者たちに宛てられた手紙だった。家族から、友人から。この港湾都市の、物資買い付けの仲介をしてくれた商人、その店を気付に届けられたのだ。
戦いばかりの生活を送る反乱軍である。故郷からの手紙は、心をささくれ立たせる戦いを一時でも忘れさせてくれる一服の清涼剤となる。それをよく知っているヘンリーは、人の好い笑顔を浮かべると書類袋を掲げ、
「先輩! これ、届けてきますね!」
「ああ、頼んだ!」
了承の言葉を得て、倉庫の奥へと向かう。そこにある階段から上の階へ上がり、書類袋の紐を解き――
不意に物陰にひそむと、袋を開けて中をあさり始めた。
その表情にもう笑顔はない。殺伐とした無表情でガサゴソと手早くあさる彼は、すぐに目当ての物を見つけた。ビュウ=アソル宛ての手紙である。家族から、カーナに残る部下から、オレルスの各地にいる協力者から。
ヘンリーは懐から一本の棒を取り出した。奇妙な細工が施された細い棒である。それを手紙の封筒の合わせ目の隙間に差し込んだ。そして、クルクルと回し、しばらくそうしてから、抜く。
抜き出された棒には、封筒の中にあるはずの手紙が巻きついていた。
封筒を開けずに中の手紙を抜き出す、そのための棒である。それを用いて抜き取った手紙に彼はザッと目を通す。それからまた棒に巻きつけると、封筒の隙間に突っ込んで、さっきとは逆回転させ始めた。手紙を封筒の中に戻すのだ。終えて、棒を抜き取って、他の封筒にも同じ事を繰り返して、ビュウ宛ての手紙をすっかり読んでしまった。
カーナで組織された反乱組織の状況。
その軍備。
ゴドランドに赴くための航路。
現地の協力者たちとの合流場所と、ゴドランドにおける作戦の概略。
その全てが頭に入った事を確認して、ヘンリーはビュウ宛の手紙を書類袋に戻すと、改めて紐を綴じてファーレンハイトの二階へと向かった。
ヘンリー=ストーンは、生粋のカーナ人である。それ故に、採用基準の厳しいファーレンハイト運用クルーの中途採用に合格した。
しかし彼はカーナ王国に、カーナ王家に、カーナ軍に恨みを抱いていた。グランベロスの宣戦布告と、降伏せずに徹底抗戦を選んだカーナ。圧倒的なまでの戦力差は開戦するまでもなく分かっていた。文字通り一目瞭然、結果など火を見るより明らかだった。それなのに王は、国は、軍は戦争を始めてしまった。父も、兄も、弟も、ヘンリー自身も兵として徴集され、父と兄と弟は戻ってこなかった。
ヘンリーは、愚かな王家を憎んだ。
見栄で現実を見なかった貴族を、国を憎んだ。
脆弱な軍を、憎んだ。
だから彼はカーナが嫌いだ。カーナなど滅びたままであればいい。蘇る? 冗談じゃない。現実を見ずに民を殺す国の復活など、他の誰が望んでもこの俺が許さない。
故に彼は、グランベロスの内通者となった。
――カーナなど、滅びろ。
――俺から家族を奪って死なせたカーナなど、このまま消えてしまえ。
その憎悪を押し隠し、彼は反乱軍の戦闘員たち――カーナを憎むヘンリーは、彼らさえ憎い――に手紙を届ける。
そんな憎悪などまるで感じさせない、人の好い笑みで。
§
「ビュウさん、お手紙が届いてます」
「ああ、ありがとう」
人の好い、裏表のない笑みで声をかけてきたヘンリー=ストーンから自分宛の手紙を受け取り、ビュウは自室に引っ込んだ。そうしながら手の中にある手紙の差出人を確認する。家族から、カーナの部下から、各地の協力者たちから。合計五通。
家族からは近況報告と、こちらの体調を気遣う言葉。
カーナの部下からは、地下活動をさせている反乱組織の状況など。
各地の協力者からは、資金繰りや物資の補給の段取りの進捗状況、マハール・ゴドランド航路でグランベロスの警戒網に引っかからないルートの提案、などなど。
家族の筆跡と文言に表情をほころばせ、部下からの報告に考え込み、協力者からの提案に難しい表情をして――
「……複雑な暗号を考えさせるもんじゃないなぁ」
と、吐息を一つ。
解読表は頭の中にあるけれど、複雑だから解くのに時間がかかって仕方ない。まったく面倒な事だと頭を掻いて、ビュウは暗号を解いて明らかになる本来の手紙の内容――本当の部下や協力者たちからの報告と提案――を頭の中で反芻した。
それは全て、手紙に書かれていたものとはまるで違う内容である。時間をかければおそらくは解ける暗号だが、ヘンリー=ストーンにこのやたら滅多に複雑で、そして一見すると暗号らしくない暗号を解読するのは、まあ無理だろう。
まったくどうでもいい話だが、家族からの手紙は暗号でも何でもない、そのままの内容だ。ただの近況報告と案ずる言葉。戦術やら戦略やら謀略やら、そんなの全部拳で砕くのが手っ取り早いよね! などという力技をモットーとするのがビュウの家族だ。息子への手紙を暗号で書くという腹芸は、期待するだけ無駄である。
……腹芸。
身内に内通者がいる事など、ビュウはとっくの昔にお見通しだった。いやむしろ、反帝国組織を結成した段階で内通者が出たり間者に潜入されたりするというのは織り込み済みだった。それがどういう影響をもたらすか、対策も含めてその辺は全部ビュウの想定内である。
この程度は、単なる座興。
本命、ビュウの真の目的は、また違うところにあった。
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