誰だこいつの派遣を決めた馬鹿野郎は。 その馬鹿野郎がつまるところ現在の自分の主である皇帝サウザーである事など百も承知だったのだが、ペルソナはそう思わずにはいられなかった。 概して、ベロス派遣軍の軍人は諜報だとか調略だとかを下に見る傾向があった。それは、端的に言えばそういった仕事をこなすのは本国の安全な本営の中にいる文官の臭いをプンプン漂わせたひ弱な自称軍人たちであり、そいつらは打倒された旧王権と一目見てそれと分かるほどに癒着していた。どれくらい癒着していたのかと言えば、巨木に絡みついた寄生植物のごとく一緒に腐り、一緒に倒れていったほどだった。 そいつらは、各国の戦場に駆り出された派遣軍の各師団のため、一生懸命情報をあさった。自国の兵士たちの戦いが有利に運ぶよう、時に敵軍の内部分裂を演出し、時に彼らの味方した民衆が離れていくようある事ない事吹聴した。 ――という風に、見せかけていた。 実際問題としてそいつらがペルソナたち現場の人間のためにしてくれた事は、勘定するのに片手で事足りる。むしろそいつらが己の利益のためにペルソナたちに対してやらかしてくれた工作の方が、数えるのも阿呆らしいほどに多すぎた。 具体的に言えば、その師団を率いる将軍が気に入らないから意図的に情報を流さない、とか。 支援すべき師団の敵軍上層部と内通し、金と引き換えに師団が不利になる調略を仕掛ける、とか。 派遣軍の誰もが、大なり小なり諜報部の被害を受けている。ペルソナも受けた。奴らが意図的に中途半端な情報を寄越したせいで、当時のペルソナの上官は死んだ。おかげで繰り上がりでペルソナが部隊長代行だ。死ぬかと思った。 (いや、俺の個人的な恨みはさておいて) そういった諜報部の被害を一番受けていたのは、おそらくサウザーだった。 サウザーはその強さ故に、その人気故に、国王から、貴族たちから、文官たちから危険視された。必要な情報が来なかった事、必要な工作が為されなかった事にはおそらく慣れっこで、だからこそサウザーは、前提として諜報機関というものを信用していない。親衛隊のある小隊が皇帝独自の諜報部隊として活動している、という噂がグランベロス軍の中でまことしやかに囁かれているが、それがあながち噂でないのをペルソナは本能的に嗅ぎ取っている。 諜報機関は信用していないが、諜報機関の必要性については理解している、それがサウザーという男だ。 そこまでは、いい。 (でもよ陛下……それならそれで、お抱えの諜報部隊を寄越してくださいよ) ヒッヒッヒ、と嗜虐的な笑い声が石造りの地下牢に響き渡る。苦悶の呻き声。ほぉら、どうした、言ってしまいたいだろう、言ってしまえばいい、聞いてあげるよ私は、ほら言ってみろ、全て言え、言えば楽になる、解放されるよ――聞いているだけで反吐が出そうな数々の言葉に憚る事なく顔をしかめるペルソナ。血と汚物の臭いが入り混じった狭い地下牢の中、拷問者の部下であるところの諜報員がそんなこちらの様子に冷ややかな侮蔑の視線を投げてくる。ペルソナは無視した。こいつらが来た当初から彼はその姿勢を貫いていた。あてがってやった部屋さえ掃除してやらないほどの、(ペルソナにとって)徹底した無視っぷりである。……いい加減、部屋の隅に綿埃とか溜まってんのかな。窓ガラス、曇ってねぇかな。ああ、拭きてぇ! すげぇ拭き掃除してぇ! そんな心の欲求を気合いで無視。何の意味があるかと問われると、ちょっと返答に困る。 ともあれ―― ペルソナは舌打ちする。胸くその悪さを顔に現わして。 本国からやってきたレスタットとその部下たちによる元カーナ戦竜隊副隊長ナルス=エシュロンの拷問は、今日で三日目を迎えた。 「嫌そうだね、ペルソナ」 上機嫌に笑っているレスタットの神経こそ解らない。 拷問は一気にやるものではない。不規則な小休止を置いて、徐々に相手の心を壊す。レスタットはそう語った。それだけで胸糞が悪くなると言うのに、「嫌そうだね」だと? ペルソナはハッと鼻で笑う。 「俺はお前ほど趣味が悪くねぇんでな」 「言っていろ。お前のような脳筋の野蛮人に、この私の高尚な美学が理解できるとは思っていない」 何だ、「脳筋」って。「脳みそまで筋肉」の略か? そりゃゾンベルトだろ。 地下牢から地上へ上がると、空気の違いに感動さえ覚えた。肺に溜まった腐敗した空気を全て吐き出すべく、一度、二度と深呼吸をするペルソナ。嫌な笑いで隣にたたずむレスタットは、そんなこちらに小馬鹿にした笑みを向けている。 「――ところで」 ペルソナは話題を変えた。口調に含まれた棘もわざとらしさも隠すつもりはない。 「もう三日だけどよ、お前、本当に情報吐かせられんのか? 見てる限りただ痛めつけてるだけみてぇだけどよ」 「よく見ているなぁ、ペルソナ」 「あ?」 レスタットは、笑みを深める。 小馬鹿にした笑みとは違う、それは鼠を無闇にいたぶる猫の笑み。そこにありありと含まれたおぞましさに、ペルソナは背筋が粟立つのを感じた。 「そうだとも。私は痛めつけているだけだ」 「……おい」 「痛めつけて、痛めつけて、来る日も来る日も拷問という名目で痛めつけて――ああ勘違いするな、私は痛めつける事それ自体が楽しいのではないぞ? 己の身と己の責務とを秤にかけ、保身を選ぶ捕虜の苦渋の顔を見るのが好きなのだ」 「……」 「その時絶望に染まる奴らの顔を、お前は見た事があるか? あれは愉快だぞ。あの瞬間、捕虜どもは己の誇りを踏みにじられて屈辱に顔を歪め、しかし同時に諦念と絶望に身を委ねるのだ。まるでそれが免罪符であるかのようにな。私はこれだけ耐えた、だがもう無理だ、耐えられない、いや私だけでない、こんな拷問誰も耐えられない、私はよくやった、だからもういい、楽になってしまっていいのだ――そう己に言い聞かせるあの顔。どんな美女の絶頂に達する時の顔よりも、私はずっとずっと」 興奮するのだよ。 囁かれた言葉に、ペルソナは吐き気さえ覚える。 (……陛下) 同じ傭兵軍人として尊敬している男の姿を、脳裏に描く。 (あんた、何でこんな奴を派遣してきたんだ) これじゃあ、あの男が余りに哀れだ。 ナルス=エシュロン。 戦竜隊副隊長にして、エシュロン伯子。カーナ騎士団のマテライト=エシュロンの実子であり―― 戦竜隊隊長ビュウ=アソルの姉の夫。 それはすなわち、トリス=アソル、イズー=アソルの義理の息子、という事である。 カーナ軍残党が一時身を寄せていたカーナ南部のウィントリー城が陥落したのは、カーナ王城陥落から優に四ヶ月後の事である。 陥落、というのも実は少し違う。投降だった。城主代行のナルス=エシュロンが、皇帝の名代としてカーナ全土の不穏分子一掃を命じられたペルソナの陣に使者を寄越し、ウィントリー城を明け渡したのだ。 彼を拘束すべく入城したペルソナは、やられた、と歯噛みした。 城には、ほとんど誰も残っていなかった。 大量にいたはずの、カーナから脱出できるはずもない負傷兵も。 戦う力もない城勤めの者たちも。 ナルス=エシュロンの妻で、身ごもっているから動けないと思われていたアルネ=エシュロンも。 見事、と言う他なかった。 どんな方法かは知らないが、ナルス=エシュロンは、四ヶ月の籠城でペルソナたちに気付かれる事なく彼らを逃がしたのだ。 脱出・撤退がどれだけ難しいか、ペルソナはよく知っている。嫌になるくらいよく知っている。どんな手段を使ったかは知らないが、この事実だけでペルソナは彼に敬服した。捕虜としてそれなりの待遇をしようと決めた。 が、本国に報告したらレスタットがやってきた。ナルス=エシュロンの知りうる全てを吐かせるべく。 俺は、間違ったか。 そんな思いが、どうしても離れてくれない。 「――そういう事だから、ペルソナ」 ペルソナは我に返る。返ったところで隣にいるのは胸を悪くするような加虐趣味の変態野郎だ。うんざりした気分で改めて見やる。 レスタットは、まだ楽しそうに笑っていた。 「捕虜の扱いは、私に任せてくれたまえ。皇帝陛下直々の命令なのでね、やる気のないお前に邪魔などされたくないのだよ」 「……そうかよ」 吐き捨てて、ペルソナはレスタットを置いて歩き出した。 乱暴な足取りで執務室に戻れば、余程酷い顔をしていたのだろう、副官がギョッと身を退かせる。し、将軍? おずおずと掛けられた言葉を無視して、 「――バケツに水、入れてこい」 「……は? な、何スか?」 「窓拭きやるからバケツに水入れてこい、っつってんだ。さっさと行け!」 抑えていた感情が爆発し、怒声となってほとばしる。は、はいっ! 副官は敬礼すると、バケツ片手に執務室を飛び出した。 何やってんだ、俺。 使い慣れた雑巾を片手に、ペルソナは嘆息した。 ……後から考えれば、おそらく、自分もレスタットも迂闊だったのだろう。 統治府はカーナ王宮に置かれていた。本国から派遣された軍人はそこを拠点にする。捕虜――いや、カーナの主権がカーナ王国からグランベロス帝国に移行した今、彼らは「捕虜」ではなく「反乱分子」だ――の収容所は近くにちゃんとある。だが少し調べれば、加虐趣味のあるレスタットが拷問対象を手近に置いて昼夜を問わず弄ぶ事は、簡単に明らかになる。 つまり―― 三日。 迂闊だった。 時間を、掛けすぎたのだ。 ――ッゴォン! それは深夜に来た。 轟音と衝撃で叩き起こされたペルソナの行動は早かった。従者や副官が駆けつけてくるより早く手早く身支度を整え、寝る時は常にベッドから手の届く所に立てかけてある愛用の短槍を片手に寝室を出る。 と、 「――閣下!」 「報告!」 悲痛なほどに血相を変えて駆けつけてきた従者へ、怒声を叩きつける。何をオロオロしているのだ、と。不意に横っ面を張られた時のような呆然とした顔、しかしそれも僅か半瞬で、よく教育されているペルソナの従者はすぐに顔を引き締め直立不動の姿勢を取った。そして敬礼と共に朗々と報告の言葉を紡ぐ。 「収容所に襲撃者! 敵は一名、金髪の女クロスナイトです!」 ゾ、と。 背筋を走った寒気に、彼は部下の前で表情をこわばらせるという将軍としてあるまじき事をするところだった。 金髪の、女クロスナイト。 こんな夜に、単独で収容所に――警備万全な統治府に近い所に殴り込みを仕掛けてくる、女クロスナイト。 ――ペルソナの脳裏によぎった姿は、一つだった。 上品で柔和な笑みをたたえた貴婦人だ。二児の母とはとても思えないほどの美女。白くほっそりとした手には羽扇こそ相応しいのに、二振りの剣を携えてしばらく前のペルソナとその直属部隊の心を笑顔でたやすく叩き折った……―― 心が竦んだ。 体が竦んだ。 震えが走った。拒絶反応が出た。何もかもなかった事にして部屋に逃げ戻り、布団を頭からかぶってしまいたかった。 その全てを一軍の将の矜持で捻じ伏せて、ペルソナは続く報告を聞く。 「ただいま、警備隊が応戦中! しかし単独でありながら敵の動きは激しく……――」 収容所の警備隊ごときに彼女を抑えられるとは思わない。しかし、金髪の美女にも刃のきらめきにも怯んで動きを鈍らせてしまう今の直属の部下たちに比べれば、まだマシかもしれない。 人海戦術がどこまで通じるか、それを考えながら従者に応えた。 「警備隊に伝達、敵の足止めに努めろ、ただし退き際は誤るな!」 「はっ!」 「俺は――」 続けようとした声は、しかし遮られた。 「ペッ、ぺぺぺぺぺペルソナぁっ!」 みっともないほどにうろたえたヒステリックな声。従者と向かい合っていたペルソナの背後から飛んできたそれに、二人は微かに顔をしかめる。 「こっ、これは何の騒ぎだ!? ど、どどっ、どうして私のいる城が攻められている!? 説明しろ、ペルソナ!」 「城じゃねぇ、収容所だ」 振り返って吐き捨てれば、果たして、周囲を諜報員で固めたレスタットが青ざめ引きつった表情でこちらを睨んでいた。猜疑心に満ち溢れた目がギロリとペルソナを射て、 「そいつが収容所からこちらに来ないとは限らないだろう!? ペルソナ将軍、私を安全な所まで誘導したまえっ!」 グランベロス軍の序列上、ペルソナとレスタットは完全に対等な立場である。命令されたり守ってやったりしなければならない筋合いはない。まして城に程近い収容所が襲撃されているのだ、ペルソナの職分はカーナ駐留軍司令としてこの対応に当たる事であり、レスタットの護衛ではない。 だが。 同時に働いたいくつかの打算が、 「――……案内する」 ペルソナを頷かせ、レスタット一行の前に立たせた。 そうして先導して歩く内に直属の部下たちが集ってくる。 彼らがもたらす報告をまとめて要約すれば――敵、イズー=アソルは現在警備隊の人海戦術に阻まれて先に進めていない。さすがに多勢に無勢なのか、収容所突入の際に『ラグナロック』を撃って以来、派手に技を放ってはいないという。 (……あのイズー=アソルが?) ペルソナは思う。蘇るのは、しばらく前にこちらの心を一瞬で優雅にへし折った彼女の技だ。そしてその後に調べて知った『剣聖アソル』の様々な逸話だ。 何か違和感がある。 彼女が無謀とも言える殴り込みを仕掛けてきた事が、ではない。 彼女が、『剣聖』とさえ呼ばれ恐れられた女が、こんなおとなしい動きしかしていない事が、だ。 (これはもしかして――) 消耗を恐れているのか。 あるいは……―― 思考しながらペルソナたち一行は王宮の隠し通路を行く。カーナ陥落より四ヶ月で粗方の修繕が終わったカーナ王宮、その中で奇跡的に無事だった王族避難用の隠し通路が、今歩いている所である。出口は王宮敷地内の端、いくつかある通用門に近い場所だ。こういう通路の定石なら出口は敷地外だろうに。多分この通路はかなり古いもので、敷地拡張の際に敷地外から敷地内になってしまったのだろう――というペルソナの素人考えを裏付ける資料は生憎焼失済みだった。まあ、それはいい。 ともあれそんな通路を、最低限の武装で行く。部下たちに持たせた僅かなろうそくの灯りだけを頼りに。ペルソナの少し後方を歩くレスタットが、通路の暗さと反響する足音にビクビクしているが、そんなものはどうでも良かった。ペルソナの部下たちは誰も気になどしてはいない。 彼らの表情は一様に真剣だった。左右を、後ろを確認しなくても分かった。長年共に戦場を駆けてきた、戦友とも言える部下たちである。ペルソナと同じ予感を抱き、警戒心を働かせている事くらい、彼らが放つピリピリとした気配だけで十分伝わってきた。 予感。 あるいは、疑問。 イズー=アソルは何故おとなしい動きしかしていないのか。 その目的は何なのか。 ペルソナたちの予感が当たるなら、その答えは……この、先に―― 「――……んん?」 隠し通路の、出口。 微かな月明かりの下、その男は困ったように首を傾げた。 「何だお前ら、ここから出てきたのか。せっかく俺が使おうと思っていたのに」 部下たちが身構える。ペルソナもまた短槍を構える。他方、レスタットとその部下たちは何が何だか分からないという風情で立ち尽くしている。 「ま、いいか」 硬革鎧、マント、大剣。 暗闇に黒く塗り潰されたような焦げ茶色の髪の下で、精悍な顔がニヤリと獰猛に歪む。 「てめえら叩きのめして、うちの婿殿、返してもらうぜ」 そう言って、背負った大剣を抜き払って―― 獣のような笑顔で、トリス=アソルが打ちかかってくる! 抜き払いからそのまま繰り出される上段右からの袈裟懸け。ペルソナはその軌道から身を外す。体を少し低くしてトリスの左側に一歩踏み込んで、大剣の刃をやり過ごし、開いた相手の胴へ、短槍を繰り出す。 今度はトリスが一歩踏み込んで身を捻る番だった。ペルソナの脇をすり抜けるようにして短槍の穂先を交わした彼は――そのまま更に一歩踏み込み、踏み切り、レスタットたちを守るべく武器を構えて展開した部下たちに迫る! ハッとして振り返る間に、 ギィンッ! 部下の一人がトリスの剣戟を防ごうとして弾き飛ばされる。その先にいるのは、 「レスタ――」 「ぐぶぅっ!?」 顔に似合わない――いや、ある意味似合っている? ――無様な呻き声を上げ、レスタットは吹っ飛ばされた部下の下敷きになって倒れる。そして……そのまま、動かない? 「閣下!?」 「ヒンデンベルク閣下!」 わぁ、マジかよ。 ペルソナの胸中にこぼれる無感動が呻き。ペルソナの部下がさっさと退いたそこでレスタットは引っ繰り返ったままだ。動かない。まさか……気絶している? おいおいレスタット、お前は一応グランベロスの将軍だろうが。唖然とするのも束の間、身を翻して部下たちに迫るトリスに向き直る。 「させるか――!」 短槍の穂先でその背に突きかかる。あっさりかわされる。そこに斬りかかり、突きかかる部下たち。注意が逸れた一瞬を使って、ペルソナは諜報員たちに怒鳴った。 「邪魔だ、もう少し下がれ!」 彼らは一瞬だけいきり立つ表情を見せた。しかし昏倒した上司の様子に、この場における自分たちの立場を理解したらしい。何やらモゴモゴ言いながらレスタットを抱えて通路の方に戻る。 この間、五秒。長すぎる五秒だ。振り返る。瞠目するペルソナ。部下たちが全員立っていた。あのトリス=アソル、先日ペルソナの自慢の部下を無傷で一蹴した『剣匠アソル』相手に、五秒、持っている。 その事が示す事実をペルソナは深く考えなかった。それどころではない。ここを突破されるわけにはいかないのだ。突破されたら捕虜を、ナルス=エシュロンをみすみす奪い返される事になる。『剣聖アソル』の収容所襲撃でこの王宮の守備は手薄になっている。『剣匠アソル』にとっては存在しないも同然の守備。ああ、何て分かりやすい陽動に引っかかった俺は! ペルソナが三度突きかかり、トリスがそれを受け止め、弾き、始まる力と技の応酬。突き、斬り、引っかけ、絡め取ろうとしても、トリスはペルソナのそんな技を全ていなし、かわし、あるいは真っ向から受け止める。横から部下たちの援護が入っても彼は気にしない。同じようにあしらっていく。 獰猛だが、どこか楽しそうな笑顔で。 まるで稽古をつけているかのように。 胸に違和感がムクムクと湧き起こる。何だろう、これは。おかしい。何かおかしい。何がおかしい。分からない。だが、 (俺は) 何か、とんでもない思い違いをしている? ――と。 囲まれていたトリスが部下の一人を蹴倒して包囲網から逃れると、不意に、空を見上げた。 つられて一瞬だけ空を見たペルソナの目に入ったのは、中天からやや傾いた位置にある細い下弦の月。 夜明けが近い。そう断じた彼の耳に、フゥ……という吐息の音が届いた。 視線を戻す。そして眉根を寄せた。これまでペルソナたちと戦っていたトリスが……安堵の表情と言うか、何かやり遂げたような充足の表情を見せている。 何だ、この表情は? 訝しく思いながらも警戒を解かないペルソナたち。その様子に気付いたトリスは、不意に表情を改めると、 「じゃあな、ベロスのガキども」 挨拶するように、片手を上げて。 そのまま開いている通用門へと脱兎のごとく駆け出した。 「……え?」 「じゃあな」? 逃げた? あの、トリス=アソルが? 『剣匠アソル』が? 何だ、これ―― 「――って、待てぇっ!」 慌てて我に返って追いかけてももう遅い。通用門の向こうにトリス=アソルの姿はどこにもなく、 (――何だ?) 先程から湧き起こっていた嫌な予感がどんどん膨らみ、 (何だ、このトリス=アソルの動きは?) どんどん形を成し、 (まるで、時間稼ぎみたいな――) 次の瞬間、ペルソナは息を飲んだ。 表情を焦燥に改めると、彼を追って通用門の外に出てきた部下たちへと、 「周辺の警戒と王宮、収容所の被害状況を確認! お前は俺と来い!」 そう指示を飛ばし、自らは副官を引っ張って隠し通路から城の中へと戻る。 その際、まだ呑気に気絶しているレスタットを蹴り飛ばして起こす事を忘れなかった。 ペルソナが慌てて駆けつけたのは、地下牢。 その光景を目の当たりにして、 「――やられた……!」 眠っている牢番。 空っぽの牢。 その牢の中に開いた、人一人が通れるほどの穴。 イズー=アソルも、トリス=アソルも、ペルソナたちの目を引きつけ、欺くための囮。 その裏で動いていた何者か――おそらくは魔道士――の手によって、この牢に捕らえていたはずのナルス=エシュロンは奪還されたのだった。 捕虜が奪還された――その失態を、レスタットは口を極めて罵り、全ての責任を負わせようとした。しかしその矛先はすぐに収まる事になる。本国が、襲撃時のレスタットの失態――敵によって気絶させられるだけならまだしも、その逃走後もずっと気絶したままだった――を知り、そこに言及したからである。もちろんペルソナが上げた報告によって、だ。 レスタットとしては掣肘を加えられた形だろう。カーナからマハールに戻る際に「このままで済むと思うな、覚えていろ」とか何とか不気味な笑い声つきで抜かした事が、実に印象的だ。 しかし、今回の失態は彼の言う通りペルソナの責任である。捕虜、それも旧カーナ軍戦竜隊の副隊長をみすみす奪還されたのだ。駐留軍司令の解任、将軍位の剥奪と降格も覚悟した。 が、それらの処分はなされなかった。数ヶ月の減俸と、この件の真相究明を厳命されただけに留まった。それでいいのか、と突っ込みたくなるほどの軽い処分に首を傾げたが、すぐにそれが勘違いである事をペルソナは悟る。 この件の真相究明。 それはすなわち、あの化け物夫婦の事を調べなくてはならない――否応なくまた関わらなくてはならない、という事に他ならない。 「し、将軍……ど、どうするんスか……!?」 ガタガタ震える副官に、ペルソナは応える言葉を持たない。 ――あ、そうだ、レスタットに使わせた部屋、掃除しなくっちゃ。 副官と同じようにガタガタ震えながら、しかし脳内では盛大に現実逃避していたのだった。 ちなみにその後。 この件の真相(らしきもの)を明らかにして本国に報告したペルソナに「イズー=アソルを拘束、本国へと移送せよ」という鬼畜にも程がある命令が下ったが、その成否についてはまた別の話である。 |
そして『17.母さん』に続く。 『おやじ』というお題でどうしてドラゴン親父でなくオリキャラのビュウパパなんでしょうね私。それが簾屋クオリティといえば簾屋クオリティなんですけれど。 ちなみにこの話、書き始めてから完成が二年近くかかりました。途中頓挫して盛大に放置プレイしていたんですすみません。ところで『心〜』四章のレスタット氏の最期とかぶるところがあるのは気にしないでくださいうっかりしてたんです。 一応解説いたしますと、ナルス兄さん奪還作戦は二重陽動作戦でした。まずイズーママンで王城周辺の警備隊など主立った戦力を引きつけ、トリスパパンで城内に残った戦力(具体的にはペルソナたち)を引きつける。トリスパパンが隠し通路から逃げるペルソナたちをドンピシャで抑えられたのは、城内で唯一生きているのがあの通路だけだとどこかから情報を得ていたからです。 ナルス兄さん奪還の実働は、実はまだゴドランドに向かっていないサウル君でした。『アースクエイク』で地下牢まで道を掘削して、『スリーピン』で牢番を眠らせる。そして『ホワイトドラッグ』でナルス兄さんの傷を治せば、あら不思議、簡単に奪還できちゃった! チートがたくさんいると戦術的に色々出来て楽ですね。結論から言うとそんな話でした。どうしてこうなった。 |