疑問が、あった。
(何故、こんな事に――?)
 彼はただひたすらに走っていた。真夜中。寂れた裏通りを、がむしゃらに。角を手当たり次第に曲がり、追跡から逃れる。
(どうして……一体、どこでミスを……――)
 ――仕事でファーレンハイトを出たのが深夜も間近の頃だった。その時には、何の異変もなかった。仕事だって、どうという事のないものだ。いつもやっている事。通常業務。だというのに、何故、それも済ませていない今、こうして追われているのだ?
 一体誰が。何のために。
 ――いや、それには心当たりがあった。
 だからこその、疑問。

(何故……一体、いつ?)

 先程、投擲された薄いナイフがかすった左腕。血が流れ出るその傷口を押さえて、彼は尚も走り続ける。息はとっくに上がっていた。肺が痙攣して、呼吸をしようにも中々上手くいかない。
 走る足が遅くなる。ダフィラの夜は寒い。吐き出す息は白く染まって闇夜に紛れていく。舗装もされていない通りは土埃を風に舞わせ、それが口に入って彼は思わずむせた。
 その時に、足が止まった。

 そして次の瞬間、背中を強く押されるのを彼は感じた。

「あ……――」
 体が前のめりに倒れていく。喉から熱い何かが口へとせり上がってくるのが分かった。朽ち果てた家屋が左右に並ぶ通りから踏み固められただけの路面に視界が変わり、土の上に赤いものがこぼれ落ちて初めて、それが血だったのだと自覚する。
 あぁ――
 彼は呻いた。
 これは致命傷だった。それを悟ってしまった。自分は今、ここで死んでいく。この、故国から遠く離れた、乾いた大地で。朽ち果てていく貧民街の片隅で。仲間の誰にも看取られず、殺されていく。
 この仕事も果たせないまま。

(何故……)

 それが、彼の最後の思考。

(いつ、気付かれた?)


 すぐ傍で聞こえた砂を踏みしめる音は、その答えにもならない。









 ある朝、ダフィラのとある街の貧民街の片隅で、一人の男の他殺体が発見された。
 男の名は、ヘンリー=ストーン。三十二歳。カーナ軍の残党を中心とした武装組織、オレルス反乱軍の旗艦ファーレンハイトのクルーだった。
 発見当時、ストーンがほとんど裸同然だった事と、同じ街の古着屋で彼の衣服が捨て値で売られていた事実から、ダフィラ当局は、これを物盗りの犯行と断定。件の古着屋にそれを売った、貧民街に住む初老の男を重要参考人として事情聴取が進められている。

 この事件について、反乱軍側の正式な声明は、ない。

 

 


 断っておきますが、これはバハラグですよ。

 ってな感じで始めてみましたお題で四話完結の中編、シリーズ名『殺人夜想曲(キリング・ノクターン)』。
 とりあえず続きます。次は『25.ナイスなコンビ』の予定。 

 

 

 

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