かつて抱いた第一印象は、「ヘラヘラした軽薄そうな男」。
 その印象は、今も尚、変わらない――印象そのままのヘラヘラした軽薄そうな笑みを見せ、ドンファンは軽い足取りでルキアに歩み寄った。
「ドンファン……」
 ルキアの唇から漏れるのは、重く苦々しい口調だ。会いたくなかった、そんな心情が嫌と言うほどに込められている。
 が。
 自称「純情硬派なナイス・ガイ」、他称「空気の読めない勘違い野郎」ドンファンは、
「おやおやルキア、一体どうしたと言うんだい? 何だかとてもアンニュイじゃあないか。そんな退廃的な君も美しいけれど、しかし僕は太陽の下で咲き誇る花のように輝く君の笑顔の方が好きだな。要はアレアレアレ……スマイルだよ、ルキア!」
 立て板に水、という表現そのままに、浮ついた台詞が飛び出る事、飛び出る事。自然と目が険悪に細められ、真冬の水のような冷ややかさで彼を睨み据える。
 言葉の前に出てきたのは、重い溜め息だった。
「……ドンファン」
「何だい、ルキア?」
 ドンファンのやたらに明るい声。それがルキアの心をささくれ立たせていく。毛羽立つように逆立った心のひだが胸の中を無造作に刺激して、その何とも言えない不快感に彼女はイライラと歯噛みした。
「……悪いのだけど、用がないのなら向こうに行ってくれるかしら」
 ――自分でもゾッとするほどに冷たい声音だった。無感動な口調だった。こんな冷酷な声が出せるのか、と苛立ちや落ち込みの一方で思ったりした。
 何だか自分がとても嫌な人間になってしまった気がした。彼女は目頭を押さえる。
 泣きたかったわけでも、泣きそうになったわけでもない。
 強いて言えば、落ち込みと、コミュニケーションに対する億劫さのアピールだった。

「はははっ、用はないけどルキアを放っておくなんて僕に出来るわけないじゃないか!」

 ――通用しなかった。
 そうだ、この男は空気が読めなかった。そんな基本的な事もど忘れしてしまっていた自分に余計に落ち込む。再びガクリとテーブルに突っ伏せば、ドンファンは馴れ馴れしく、
「何故ならルキア、麗しの君よ、君は僕にとってのマドンナ、ファム・ファタールだからだ!」
「……あのね、ドンファン――」
「愛しの君にならこの命を捧げても惜しくはないし、人生を弄ばれても決して悔いはしない……つもりだ!
「ちょっと、話を――」
「要はアレアレアレ……アイ・アム・ユア・ナイト、ドゥー・ユー・アンダスタン?」
 やたらと発音よく同意を求められた、そこが我慢の限界だった。

 バンッ!

 振り下ろされた平手がドンファンの脳天を襲う。下向きに弾む彼の頭を鋭く睨みながら、ルキアは怒鳴りつけていた。
「人の話を聞きなさい、ドンファン!」
「ル、ルキア……酷いじゃないか、マイ・スウィート」
「誰が『マイ・スウィート』よ! 大体さっきから聞いていれば、マドンナだのファム・ファタールだの、鳥肌立つような事ばかり! 寝言は寝てから言いなさい!」
「ルキア〜、そんな風に言うなんて酷いじゃない――」
「酷くない! それと、『ルキア〜』なんて情けない声で私を呼ばないで! それが勇敢なマハール騎士!? しっかりしなさい!」
 と――
 ふと視線を感じて、ルキアは口をつぐむとバーの入り口に視線を転じた。
 金色の三つ編みが、揺れている。
 入り口の影に隠れるようにしてこちらを覗いている、不安げで怪訝そうな表情をした――フレデリカだった。
 目が合う。
 何やらとても馬鹿なところを見られてしまった、何とも言えないバツの悪さにルキアはこめかみを押さえた。えーと、と口の中で呟いてから、
「……うるさかった?」
 おずおずと尋ねてみれば、フレデリカの方も居心地の悪そうな表情で、
「あ、いえ、えっと……お邪魔、しました」
 何だか生温い苦笑を浮かべられ、ルキアはハッとした。もしかしてこれは、

(痴話喧嘩と勘違いされた!?)

 しかも「犬も喰わない」的に放置プレイか!
 そういう勘違いはありがたくない。彼女は咄嗟に言い訳しようと口を開き、
「ああフレデリカ! すまない、君の心の平安を不必要に騒がせてしまって!」
 芝居がかった動作と口調で、ドンファンはあっさり復活、ライトアーマーもかくやという素早さを発揮してフレデリカにササッと寄り添った。
 しかも、手までソッと握る。
 ルキアとフレデリカが唖然とする中、彼の仰々しい長台詞がいつもの調子で始まった。
「君には聞こえていたのだろう、僕のルキアへの賛美の言葉が。そして不安に思ってしまったのだろう、僕の心がルキアに向けているのだと思って。
 だがフレデリカ、安心してほしい。僕の心は全てのレディたちに向けられている。そう、僕はルキアのナイトであると同時に君のナイトでもあり、更にはこの世に生きる全ての女性たちのナイトなのだ。
 フレデリカ、散る花のように美しく儚い人よ、どうか泣かないでほしい。涙に暮れる君もまた美しい、だが微笑む君の方がもっと美しい。要はアレアレアレ……スマイルだよ、フレデリカ!」
 瞬間、ルキアはライトアーマーの神速で以って、テーブルから入り口までの十数歩の距離を一瞬で移動した。
 微笑するドンファン。その笑顔は、どちらかと言えば困惑するフレデリカを安心させようとするものではなく、自分の台詞に陶酔している類のもので――
 苛立ちとか、落ち込みとか、億劫さとか、そういう胸にわだかまっていた黒々としたもの、その全てを力に変えて、ルキアの白い繊手が唸りを上げる。
「私と同じ事言ってんじゃないわよ!」

 スパンッ!

 ルキアのツッコミが炸裂した。
 それこそ電光石火の勢いで振り下ろされた平手を側頭部にもろに受けて、ドンファンは盛大に弾き飛ばされる。ズシャッ、ゴロゴロゴロドンッ! 床に転がり、入り口の反対側の壁に激突して、停止する、その一連の動きの中で彼女はフレデリカを背に庇った。
「フレデリカ、大丈夫? 気分が悪かったりはしない?」
「え、ええ……」
「いつもドンファンが迷惑を掛けてごめんなさい。でも安心して、もう変な事はさせないから」
 フレデリカはまだポカンとしている。やはりドンファンに変な事を言われたショックが抜けないか。ルキアは床に転がったままの自称純情硬派に向けて怒声を浴びせる。
「ドンファン! 立ってフレデリカに謝って! 大体フレデリカには好きな人がいるんだから、変な事を言うんじゃないの!」
「え、あ、ヤだルキア、私は別に、そう言うのじゃなくて――」
 としどろもどろに言い訳めいた事を言い出す歳下の友人を、ルキアは振り返った。
 顔が少し赤い。熱が出ているようだ。そんなフレデリカの手をギュッと握る。
「本当にごめんなさい、フレデリカ。ドンファンには後でキツく言っておくから、もうベッドに戻った方がいいわ」
「え、ええ……」
 ためらいがちに頷くフレデリカ。と――

「――ははっ」

 ドンファンが、笑った。
 床に転がったまま、朗らかな笑い声を立てていた。
 嬉しそうで、楽しそうで、それでいて微笑ましい、そういう明るい笑い声だった。
 ルキアはきょとんとドンファンを見やる。ドンファンはルキアをまっすぐに見つめている。
「――そうだよ、ルキア」
 先程までの仰々しい口調とはまるで違う、穏やかな、素の口調だった。
「そうしている方が、君らしい」
 その眼差しが普段と違って暖かく、真面目だった。
 ドンファンは、しばしばこうして普段と違う面を見せる。いつも浮ついた軽いノリでふざけているのに、例えば戦闘中とか、訓練中とか、そういう真面目な時になると驚くほどに真剣で、冷静になるのだ。
 今更のようにハッと胸が衝かれ、痛みとも疼きともつかない衝撃に彼女は胸を押さえる。そして、

「そういう君が、僕は好きだよ」

 床が抜けていきなりオレルスの空に放り出されたような、そんな不意打ちのショックにルキアは絶句した。

「……ごめんなさい、席外します」
「ちょっと待ってフレデリカここにいてぇ!」

 そそくさと大部屋の方に退散しようとするフレデリカを呼び止めながら、今更のように顔を赤らめたのだった。

 

 


『14.素』より、続きました。
 と言っても、14を発表したのがもう三年近く前。その時想定していた話がこんなだったか、と甚だ怪しいのですが――

 ルキアさん。
 皆のお姉さん、「大人の女性」代表格。でもそんなお姉さんだって色々迷ったり疲れたり落ち込んだりするよねー……――
 という話だった気がする。
 何せこの前の話を書いたのが三年前。ドンファンを絡ませて落ち込むルキアさんを浮上させる、というプロットそのものは三年前と変わらないのですが、フレデリカが絡んできたのは即興でした。やっぱり「皆の頼れるお姉さん」に戻ってほしかったので。

 そんな感じで皆に頼られ時々疲れるルキアさんですが、ドンファンが相手だと途端に「皆の頼れるお姉さん」でも何でもない、ただの一人の女性に戻ればいい。
 何だかんだ言って、ドンファンはそんなルキアさんを優しく受け止めればいい。
 書くとドンファンがやたらと漢前、そんな簾屋はドンファン×ルキア派です。

 

 

 

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