――メロゥ・ラディア=ホーントの人生は、少なくともこの五十年以内に始まったと思われる。
 正確な数字は本人も覚えていないし、帝国本土の統治院にある臣民戸籍にも記載されていないし、ついでに言えば誰が気にするところでもない。そして実際のところ、それがどうこうという話でもない。
 ただとにかく、メロゥ・ラディア=ホーントの人生が始まったその日から、彼女はその能力と付き合わざるを得なかった。
 死者の声を聞き、その姿を見る。
 その能力により、彼女は数年後に両親に捨てられる事となる。



 味気ない朝食――お粗末な調理のせいもあるが、自分の舌がろくに味を感じ取れないせいもある――を少し食べただけで、痺れが全身を襲いだした。
 呼吸が出来なくなる。空気を喘いでも喉が痙攣するだけで、肺は空気を取り入れようとしない。
「う……あ……」
 息苦しさに喉を押さえる。
 目の前が暗くなり始めた。まるでいきなり夜が訪れたようだ。今は朝で、格子のはまった採光窓から差し込む朝日が留置所内をほのかに明るくしていたのに。だが夜は好きだ。深淵を思わせる闇と、自己が希薄になっていく静寂が好ましく、落ち着く。昼は嫌いだ。何もかもを照らし出し、さらけ出そうとする光の傲慢さに吐き気がする。
 だから、ラディアは笑っていた。
 薄く不気味に微笑んで、ゆっくりと、留置所の冷たい床に倒れ伏した。
 その湿った冷たささえ心地良い。訪れつつある「死」を、彼女は喜んで受け入れる。



 ――幼いラディアにとって、死は身近な存在だった。
 死者は常にそこにいた。少女の前に、後ろに、隣に。生前と同じ姿で、あるいは死した時そのままの姿で。
 少女にとって、それは何ら不思議な光景ではなかった。母親の胎から生まれ落ちたその瞬間から、彼女の目に刻み込まれてきた世界である。周囲から少し浮き上がって見えるその不思議な人々は、ある時は彼女に優しく笑い掛け、ある時は彼女に助けを求め、ある時は執拗に彼女を追い掛けた。
 だがしかし、それはいわば生きた者たちとそう変わらず、要するに彼女には生者と死者の区別がつかなかった。
 そして、その光景が自分にしか見えない事など、彼女には思いも寄らない事だった。
 少女の不思議な話を聞く両親は最初の頃こそ子供の作り話と笑っていたが、だんだんと不思議がり、不気味がり、ついに父親の死んだ両親しか知らない事を口にするようになった時、彼らは娘を捨てようと決意した。



 元特使の朝食に毒を混ぜた看守は、ゴドランド首都のとある裏通りにいた。
 彼は怯えていた。一部始終を見ていた。確認しなければいけなかったからだ。元特使が朝食を食べ、死ぬところを。
 その様を思い出し、看守の背筋がまた粟立った。苦しんで苦しんで見苦しく無様に足掻いて死んでいった、というのであれば、まだここまで怯える事はなかったろう。
 だが元特使は違った。多少は苦しがった。息苦しさに喉を押さえたりした。
 それだけだった。
 むしろ笑いながら死んでいった。何もかもを小馬鹿にするように、貶すように、嘲るように、それでいて何もかもを受け入れるように、認めるように――静かに、薄く笑いさえして、死んでいった。
 その余りの静かさを思い出し、看守のブルリと身震いした。留置所のジメついた寒気が人の形となって、寄り添っているようだ。そんな馬鹿な。看守はその妄想を頭から締め出した。馬鹿げた妄想より、きちんと正確な事実をこれから来る者に報告しなければ。
 それで、終わりだ。そうだ、全部終わりだ。金が貰える。留置所の看守では一生縁のない額の金だ。それを受け取って、――そうだ、首都を離れよう。いや、ゴドランドから離れよう。どこへ行く? どこだっていい。こんな薄暗くて、魔法が使えない男というだけで常に見下されなければいけないこんなクソみたいな国を離れて……マハールなんてどうだろう? いつでも気候は爽やかで過ごしやすいらしいし、ゴドランドと違って美人は多いらしい。それとも、キャンベルか? 見渡す限りの緑の草原や深い森はゴドランド人には縁遠いものだ。憧れる。それに世界の穀倉地帯だから飯は美味いと聞く。ああ、どちらも捨てがたい!
 そうやって罪の意識から都合の良い妄想の世界に逃避する元看守の背後に、コツッ、忍び寄る足音。



 ――この世ならざるものを見るラディアにとって、両親との生活や普通の少女としての生き方は、大した意味を持たなかった。眠りの中で見る夢のように、あやふやで、曖昧で、現実感に乏しいものだった。
 目の前に繰り広げられる死者たちの方が、彼女にとっての現実だった。
 両親に捨てられて後の彼女がどういう変遷を辿ったのか、余人の知るところではないし、彼女自身もよく覚えていない。気が付けばある魔道士に拾われていた。ベロス出身でゴドランドに研究拠点を置いていたその魔道士は、ネクロマンサーだった。
 少女はその魔道士の研究の助手となり、被験者となり、最も優秀な弟子となる。
 数年後、師の死亡と共に彼女はその研究を引き継いだ。
 研究テーマは『兵士の死後活用について』――
 非人道的だ、という非難が集中し、ゴドランドの魔道学会から彼女は追放される。
 その彼女を次に拾ったのは、祖国、常に人材不足に悩む傭兵国家ベロスだった。


 グランベロス軍カーナ駐留師団の特殊工作兵は、刺殺した看守の体を路面に放り捨てると音もなくその場から逃げ去った。
 母艦たる特殊戦艦に帰投し、将軍に報告をしなければならない。



 ――その後幾度かの変遷を彼女は経た。
 動乱を見た。
 混乱を見た。
 争乱を見た。
 戦乱を見た。
 生まれ落ち、両親に捨てられ、師たる魔道士の死を見届け、異端の烙印を押され――どれだけの時が過ぎ去ったのか、最早判らなくなっていた。それだけ長い時を彼女は経験した。十年か、二十年か、三十年か、もうそれさえ判らない。
 分かる事は、ただ一つ。
 幼い頃から何よりも鮮明な世界だった死の世界。それはただ変わらず傍らに在り、死者たちは代わらず語り掛けてくる。
『聞いてくれ』
『聞いてくれ』
『話を』
『声を』
『願いを』
『未練を』
『執着を』
『妄執を』
『もう一度動きたい』
『もう一度歩きたい』
『もう一度話したい』
『もう一度戦いたい』
『戦いたい』
『戦いたい』
『戦いたい』
『戦わせてくれ』
『戦わせてくれ』
『戦わせてくれ』
『未練を晴らす』
『敵を討つ』
『あいつを殺す』
『死を』
『死を』
『死を』
『死を』
『死を』
 それは何よりも鮮明で。
 それは何よりも現実だった。
 だからラディアは喚起する。
 死者たちを。
 その願いを。
 未練を。
 執着を。
 妄執を。



 そしてラディアは目を覚ました。
 ゆっくりと、瞬きをする。眼前に飛び込んでくるのは薄気味の悪い天井だ。ドクリ、ドクリと脈打っているそれは、切り開かれたばかりの動物の腹と、そこからこぼれ出た湯気を立てる臓物を思い起こさせた。
 天井にボンヤリと灯っている燐光に、彼女は目を細める。眩しい。光を遮ろうと左腕を持ち上げ、そして、

「よぉ、やっと起きたか」

 聞き覚えのある気安い声に、彼女は視線を上げ掛けた左手の側に向ける。気だるげな視線が捉えたのは、見覚えのある男の姿だった。
 歳の頃なら二十代後半から三十代前半、まだかろうじて「青年」の粋にある若い男だ。刈り上げた頭の、真ん中だけ残って鶏のとさかみたいになっている黄土色の髪の毛がやたらと特徴的だ。
 臓物のような壁で囲まれた部屋の、その戸口に立つ男は、愛嬌と皮肉が同居した顔に苦笑めいた薄笑いを浮かべてラディアの傍にやってきた。
「久しぶりだな。気分はどうだ」
「……成程」
 男の言葉に応えるでもなく、ラディアは陰鬱な無表情で呟く。
「あの毒は貴様の差し金か――ペルソナ」
「ご名答」
 悪びれもせず、男――カーナ駐留師団司令ハンス・ペルソナ=オルヴェント将軍は肯定した。清々しいほどにあっさりとしていた。
 彼女は、不機嫌そうに吐息する。
「そういえば、貴様は知っていたのだな。私の体の事を」
 起き上がる。寝かされていたのはベッドだった。囚人が使うような簡素で粗末なベッド。成程、死体安置所代わりか。この艦――ラディア自身も開発に携わった、複合生体艦――の居住性は余りに貧弱で、そもそも開発時にその点がほとんど無視されていた事を今更のように思い出す。
 その居住性を最悪にしている要因の一つたるブヨブヨした肉の壁にもたれて、ペルソナはただ笑っている。
「私が、半アンデッドだという事を」
「ああ」
 腹立たしさすら感じないほどに、彼の応えは明瞭だった。



 ――ラディアの体を改造したのは、師だった。
 ラディアはネクロマンサーとして師よりも圧倒的に優れていた。死者が見える、その声が聞こえる、その時点で彼女は最高のネクロマンサーだった。
 そして師はよくある嫉妬に駆られた。
 適当な理由をつけて、彼女をある実験に使った。
 その結果、彼女の体は死者のそれと同じになり。
 死んでいないのに死者となり、喚起されたわけでもないのにアンデッドとなる、その余りに中途半端な状態の彼女は、それはそれとして師にお返しをした。
 師の周囲にいた死者たちの願いを叶えてやった。
 実験に利用され、師に恨みを抱いている者たちだった。
 肉体を得た彼らは死をなぶり殺し、満足げに還っていった。



 そんなこんなで、ラディアは基本的に死なない体である。致死毒くらいでは仮死状態が関の山だ。
「死」という経過を経ないでアンデッドになってしまった彼女は、「生きているのに死んでいる」という非常に中途半端な存在だった。半アンデッド。ラディアは自分の状態をそう名付けた。
 とりあえず、朝に弱くなった。
 とりあえず、食欲が減退した。
 とりあえず、回復魔法で皮膚が焼け爛れるようになった。
 それだけといえばそれだけなので、余り気にならない。
 気になりはしないけれど、自分から誰かに打ち明ける事はしなかった。だから皇帝も、グドルフも知らない。ペルソナだけだ。
 それは何故かと言えば――

「ところで、いいのか?」
「あん?」
「私を生かした事だ。――本国からの命令だろう」
 おそらく、魔道連盟を敵に回すのは得策ではないと判断したグドルフによって切り捨てられたのだろう。サウザーが巻き起こした革命の混乱の中、ラディアを拾い、救った男に。
 だがラディアは別にショックでも何でもなかった。あの男は笑って部下を切り捨てられる男だ。それを承知で部下をやっていたのだ。覚悟くらいしていた。
 その実行がこのペルソナだったのは、単に一番近い所にいた将軍がこいつだった、それだけの事だろう。立場的に、ペルソナは完全に中立だ。サウザーに従うわけでも、グドルフにおもねるわけでもない。ペルソナは、グランベロス軍の中でただ一人、権力闘争から一歩退いて己の任務にのみ忠実たろうとする将軍である。
「俺が受けた命令は、お前を殺す事。だから俺は、毒でお前を殺し、死体を回収した。――命令にゃあ背いてねぇさ」
 と、ペルソナは笑う。その彼の皮肉げな笑みを見据えるラディアの視線は鋭く冷たく、少しして彼はばつ悪そうに肩を竦めた。
「俺の趣味は掃除だがな、同僚を『掃除』するのは趣味じゃねぇんだ」
「……甘い事を」
「るせぇ、叩き上げは戦友に甘ぇんだよ」
 戦友。
 その言葉に、ラディアは思わず目を丸くして彼を――同僚を見つめていた。

 ――あれは、いつの事だったか。
 カーナを征服し、オレルス全土を統治するための新体制作りに皆が奔走していた頃だったと思う。
 知られた経緯は、単純だ、ペルソナがラディアの私室に勝手に入ってきて、着替え途中だった彼女の裸身を見てしまったのだ。
 彼女にはその手の情緒が一切欠けているから見られても別に気にしなかったのだが、彼の方はといえば一瞬ギョッとしどぎまぎし、そしてその後、別の意味で愕然とした。
『お前、その体……!?』
『ああ、この傷か? 自然治癒力がないからな、アンデッド用の修復措置をしないと塞がらないんだ』
 その時、ラディアの体は傷だらけだった。戦場で傷を負っても治す手段がなく――何せ『ホワイトドラッグ』で火傷する身だ――、その後の執務の忙しさに自らの体を修復する暇が見つけられなかった。
 脇腹を深々と裂く切創。
 白い背中のほとんどを赤黒く爛れさせている火傷。
 本来なら致命傷であるそれらにペルソナは言葉を失くし、呆然となっている時に聞かされた半アンデッドという驚愕の事実に更に目を瞠り、
『……そうか、そりゃ辛ぇな。じゃあ休んでろ。陛下や他の連中には俺が適当に言っとく』
 だというのに彼の態度は、それまでと同じで、そしてそれからも決して変わる事がなかった。

「――お前は変な男だな」
 言えば、ペルソナはひどく嫌そうな顔をした。
「……何だいきなり」
「レスタットみたいな態度が普通だろう」
 レスタットはラディアを見下し、その一方でひどく怯え、恐れていた。
 彼はただ怖かったのだろう。死霊喚起術(ネクロマンシー)という得体の知れない魔法体系も、喚起されるアンデッドに負けず劣らず死人のようだった自分も。
 レスタットだけではなかった。大なり小なり、皆同じようなものだった。滑稽なほどにアンデッドとラディアを恐れた。身近にある死を、否定したがった。
 皇帝サウザーでさえそれは変わらなかった。
 だというのに、この男の態度は一体何なのだろう――ラディアが首を傾げる中、ペルソナは不快げに顔をしかめた。
「あんなビビリと一緒にするんじゃねぇ。戦友を普通に扱うのは当然だろーが」
「私は半アンデッドだぞ」
「だから何だよ。戦場に出りゃ死体なんざあちこちゴロゴロ転がってんだ。別に珍しくも何ともねぇ」
「それが動いて戦うのだぞ? レスタットや他の者みたいに、気味悪がるのが普通だ」
「死体が動いて俺たちの代わりに戦ってくれんだろ? いいじゃねぇか。生きてる人間が無駄に死ななくて済む」
 ……彼のその感覚もまたおかしい事を、ラディアは十分に知っている。
 だが、この男だけだった。ラディアと、彼女が喚起した死者たちを忌み嫌いも恐れもしなかったのは。

 この男だけ、だったのだ。

 ふ、とラディアは力が抜けていくのを感じた。体から、顔から。
 すると視線を感じた。ペルソナだった。唖然とした顔で彼はこちらを見ている。ポカンと口を開き、目をまん丸にして。
 驚愕、という言葉をそのまま表情にした顔に、逆にラディアが驚いた。
「……どうした、ペルソナ」
「お前、今笑って――あ、いや、何でもねぇ。
 それでお前、これからどうする?」
 ラディアは少し考え、答えを出した。
「……趣味に没頭する」
「趣味?」
 お前に趣味があったのか? そう言わんばかりの怪訝そうな口調だった。だから彼女は答えてやる。
 本当は、「趣味」というには少々語弊があるのだが、
「研究だ。死霊喚起術の研究に戻る」
 元々、帝国だとか軍だとか権力闘争だとか、そういった事に興味が持てなかったのだ。これはちょうどいい機会だった。
 たくさんの者に捨てられ、拾われ、その連鎖からやっと解き放たれる。
 これで、彼女はただ無心に向き合っていられる。
 彼女にとっての現実に。
 目の前に広がる死者たちの世界に。

 ラディアはやっと、自由になったのだ。

「そうか」
 ペルソナの答えはあっさりしたものだった。彼は刈り上げた側頭部をガリガリと掻くと、
「じゃあまぁ、助けたついでだ。お前が上手く脱走できるよう、手はずを整えてやるよ」
「……何故、そこまでしてくれる?」
 問いながら、しかし彼女はその答えを知っていた。
 そしてペルソナは、まさにその答えを言葉にする。ニヤリと、笑って。
「お前が俺の戦友だからだ」
 その笑みを見て、ラディアは小さく呟いた。
 ありがとう、と。
 半アンデッドの女からの初めての謝辞に、ペルソナは目を白黒させたのだった。

 

 


 そんなこんなで、ラディアさんは生きてました、という話。
 でもそんなこんなでラディアさんはグランベロス軍を脱走し、名前も何もかも変えて一研究者として生きるので、長編の方では二度と登場しませんのであしからず。

 実を言えば、ラディアは長編であんな形で死んだまま、復活させるつもりなんてありませんでした。
 原作ゲーム上でのスペックはともかくとして、わたしの中でラディアは普通に人間で、アンデッドではありませんでした。
 でも、「回復魔法でダメージを受ける」という原作ゲームの設定を何だか急に生かしたくなって――
 なら、こういう形で「実は生きてました」ネタもアリかな、とやってみました。
 ラディアと絡ませる相手として(長編の進行上の都合から)ペルソナを持ってきましたが、ペルソナ×ラディアなんてつもりはまるでありません。ペルソナ+ラディアです。この二人はあくまで「戦友」という関係です。余談ですが我が家のペルソナさんは一緒に戦った人間なら大抵戦友と位置づけるので、これがもし大嫌いなレスタットでも同じ事をするでしょう。
 即興で三時間で書いたから穴がありまくりな気もしないでもない。現在真夜中午前二時半。もう寝ます。

 

 

 

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