窓から差し込む月明かりに、手に持つ長剣の刃が冷たく輝く。
 それを無感情な眼差しで見下ろしたまま、ビュウは、つと柄の握り方を変えた。

 順手から、逆手へ。
 切っ先を、床から、自分の喉元へ。

 後は簡単な事。この剣尖を遮るものは何もない。このまま、一突き。それで、全てが終わる。
 全て、終わる。
 全て。
 全て――



 終わる?



「……………………っ!」
 ビュウの顔に表情が戻った。迷うような、戸惑うような、苦しむような――そんな複雑な、痛ましげな表情が、面に浮かぶ。
 切っ先が震える。柄を握る手そのものが震えていた。カタカタと音すら鳴らせて。
 ビュウは瞑目する。振るえる手に力を込める。握った手が白くなる。

 ここで終わらなければ。
 ここで終えなければ。
 きっと一生苦しむ。一生、死ぬよりも辛い目に遭う。意に沿わない人生を歩ませられる。
 そんな人生を送るならば、ここで死んだ方がマシだ――

『本当に?』

 頭のどこかで、何かが囁く。

『本当に、死んだ方がいいと思うのか? 本当に、死にたいのか?』

「――――――――っ!」

 切っ先を、喉へと差し向けて――







 …………ガランッ。


 結局。
 ビュウは、自害できなかった。
 床に落ちた剣に視線を向ける事すらせず、彼は、そのままひざまずき、うなだれる。改めて拳を握り、そして、床を叩いた。

 そうだ。死ねるはずなどないのだ。
 他人を見殺しにしてでも、生きる。そうやって送ってきたこれまでの人生は、ビュウに、安易な死を許さなかった。
 ビュウは、誰よりも痛いほどに解っている。死んで解決する事など一つもない、という事を。死ぬという事は、親しいものを悲しませ、憎いものを喜ばせるだけだ、という事を。自分が自殺する事は、自分がこれまで殺めてきた者の死を冒涜する事になる、という事を。

 だが死にたい。
 いっそ、死んでしまいたい。
 この吐き気を覚える生から、解放されたい。

 しかしそれがどれほど疎ましいものであったとしても、生は生。
 かつて渇望し、今も無意識に欲し、そしてこれからもきっと焦がれていく。


「……くしょう……」

 しばらくして、ビュウは、ポツリと呟いた。

「……ちくしょうっ……――!」

 生への執着がどれほど厭わしくても。

 それに対して、嗚咽も出なかった。









 いっそ、狂えれば楽なのだけれど、それすらこの身は許さない。

 

 


 ビュウさん十四歳の晩夏。
 自殺未遂話。


 ビュウの人生、ってのは元々そう幸多いものではないのですが、その中でも、その最たるが十四歳の夏から秋に掛けての三ヶ月間。
 彼はこの時、人生最悪の経験をしました。二十一歳の今になっても、未だ引きずっている悪夢を。

 いずれ過去編で全部明かします。
 ただ、その設定に、きっと皆さん非難ゴーゴーかと。


 でも、安心してください。
 ビュウはこの後、その悪夢をちゃんと克服します。
 そして、ちゃんと幸せになります。
 簾屋は、ハッピーエンドしか書けない女ですから。

 

 

 

目次へ