そういえば。
 彼女の涙を、もう長い事見ていない。





 ここのところ倒れた程度では最早誰も慌てる事もなくなったのだが、それでも三日も眠り続ければ皆心配はするし、目覚めたとなれば駆けつけないわけにはいかない。
 それでも雑事に忙殺されてしまい、結局ビュウがヨヨの寝室の扉を叩いたのは、覚醒の報が広まってから優に四時間も後の事だった。

 ノックをしても応答はなし。軋む扉を慎重に開けて、隙間から体を滑り込ませてみると、果たして、ヨヨは奥のベッドで眠っていた。
 まぁ、仕方ないか。昏睡状態から脱して四時間。その間にマテライトがまた安堵に泣き出してしまっていたかもしれないし、センダックがあの冗長な喋りを長々と聞かせていたかもしれないし。
 どうであれ、安静にしているならそれに越した事はない――とは思えど、ビュウは気配と足音を可能な限り殺してヨヨの眠るベッドに歩み寄っていた。
 特に他意はない。ただ、彼女の寝顔を見ておきたかった。
 そして見下ろすその顔は、お世辞にも、「健やか」とは言いがたかった。

 ピクピクと痙攣している目蓋。
 眉間に寄ったしわ。
 ひそめられた眉。
 額に浮かぶ汗と、それによって貼りついた金色の前髪。
 どことなく澱んだ色の唇が微かに動き、文字にはしづらい呻きを漏らす。

 そんな彼女の様子にしばし唇を噛んでから、ビュウは壁際に寄せられていた丸椅子を引き寄せて、座る。その眼差しは沈痛な色をはらんで、まっすぐにヨヨへと向けられていた。
 神竜。精神のみの存在である彼らはドラグナーたるヨヨの心へと入り込み、こうして、蝕んでいる。それは主に悪夢。だがその内容を、ビュウはヨヨから聞かされた事がなかった。
 何も言わず、一人抱え込み、苦しむヨヨ。その彼女に苦しみを与えているのが神竜だというのなら、ビュウにとってその存在は、最早憎悪と嫌悪の対象でしかない。殺せるものなら一晩の内に殺している。
 だが、自分がする事は何もない。出来る事は、何一つとして存在しない。そんな自分が余りにも不甲斐なく、情けなく――

 などと毎度のごとく自己嫌悪の波に身を任せていたら、唐突に、何の脈絡もなく、パチリとヨヨが目を開けた。
 その若草色の瞳は、あっさりとこちらを捉え、
「……あら、ビュウ、いたの」
「……おぉ」
 やはりあっさりとした言葉に、ビュウはそれしか返せない。そんな物言いのどこがおかしかったか、ヨヨはクスクスと笑って、
「……何だよ、ヨヨ」
「別に。何でもないわ」
 と言って、フフッ、と笑う。ビュウは仕方なし、とばかりに肩を竦める。
「おかしな奴だな」
「貴方には負けるわ」
「何だと?」
「冗談よ」
 そんな、他愛もない言葉のやり取り。

 しかしそれが途切れた瞬間に、フッとヨヨが見せたのは――

「……なぁ、ヨヨ」
「何?」
「泣きたきゃ、泣けよ」
「え?」
「どうせ俺しかいないし」
「何を言ってるの、貴方」
 ヨヨは笑う。
「別に泣きたくもないのに、泣く必要なんてないじゃない」
「嘘吐け」
「……………………」
「泣けよ」
「泣かないわ」
 意外にもあっさりと簡単に、ヨヨはそう言い切った。
「だって、泣きたいわけじゃないもの」


 本当は。
 そう、本当は。
 もうずっと前から、泣いて、泣いて、涙が涸れるまで泣いてしまいたいくせして。


「そうか」

 しかしヨヨがそう言うなら、ビュウはそれを受け入れるしかないのだ。
 例え、ほんの一瞬でも、彼女が今にも泣き出しそうな顔を見せたとしても……ヨヨが、泣かない、と言うのなら。

「なら、いいけど」
 ビュウの淡白な答えに、ヨヨは何故か、ホッとしたような顔を見せた。





 そういえば。
 最後に彼女の涙を見たのは、一体いつだっただろう。
 それすら思い出せないほどに、もう長い事、彼女の涙を見ていない。

 

 


 泣かない女、ヨヨ様。
 そんな女性は好きですか?

 とは言っても、彼女は相当な演技派なので、必要とあらばいくらでも泣いてみせます。涙は女の武器ですから。
 でも武器としての「涙」は、多用しては駄目です。効果が薄れます。しょっちゅう泣いてばかりいると、逆に相手が引いてしまいます。堪えて堪えて、それでも流れ出てしまう涙、というのが武器としては多分理想。
 ……もしかして、ビュウの前でも泣かなくなったのは、その辺りの事情があるからか!? こっちが泣いて、相手がビビって、でもビュウが「あ〜ぁ、またかぁ」って顔をしていたら、相手も冷静になってしまって効果半減。
 でもうちのビュウ隊長はヨヨ様とお付き合いも長いから、いつ何時涙を見せられたとしても、動揺なんてまるでしない人ですが。


 一応ダーク指定。
 でも大してダークでもなかった……ガックリ。

 

 

 

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