ひっ――――


 声にならない悲鳴と共に、ビュウは飛び起きた。上掛けを跳ね飛ばし、上体を勢いよく起こす。喉が引きつっていた。ちゃんと呼吸しようとすればするほど、喉は正常に動くのを拒絶するかのようだ。空気を吸い込む事が出来ないまま、それでもビュウは、もがくように喘ぎ続けていた。
 苦しい。苦しい。苦しい。空気を吸えない事が。悪夢に苛まれる事が。過去との決別を未だに出来ない事が。

「――……ビュウ?」

 隣からの声に、彼はハッと身構えた。隣? 隣。隣からの、声? 誰だ。誰だ。
 上掛けを握り締める。力を込めすぎたせいで、拳が白くなった。頬を、背筋を、嫌な汗が伝っていく。そのくせ心はひどく冷静だった。この声は誰だ? いや、誰でもいい。敵なら殺す。それだけだ。そう、それだけ――

「ビュウ? やだ、どうしたの? 顔、真っ青よ? ねぇ、何かあったの?」

 ――手、が。
 白い手が、伸びた。顔に。頬を撫ぜるほっそりとした手は微かな朱を帯びていて、これまで寝ていたからか、ほんの少し温かかった。

 そしてビュウは、今度こそ、本当に、我に返った。

「……フレデリカ?」
「ええ。……どうしたの?」
 すぐ間近に、フレデリカの碧眼があった。ビュウの顔を覗き込むその空色の瞳には、今は心配の色がありありと浮かんでいる。
 どうしたの。
「……あー、いや、その」
 膝を立て、その膝に頬杖を突き、そのまま髪を掻き上げるビュウ。ここに来てようやく、自分が今どういう状態にあったのかを判断できた。
「ちょっと夢見が悪くて……な」
 錯乱していたのである。
 対する彼女は、そんなビュウの歯切れの悪い答えに、
「夢? どんな?」
「――いや、まぁ、その、何だ? 昔の夢を……な」
「貴方の、昔の夢?」
 そう繰り返す声は、別に、興味津々という調子ではないのだが。
「……まぁ、色々と、な」
 ビュウはやはり濁した。


 悪夢に事欠かない人生、というのは、タチの悪さではダントツだろう。
 そういったものに苛まれるのは、もう慣れたものだった。十四歳の時から、かれこれ八年近い付き合いになるのだ。慣れない方がおかしい。
 ……それはそれで、おかしいのかもしれないけれど。


「……やっぱり、疲れてるんじゃ?」
 彼女の声は、あくまでこちらを案じたものだった。
「ヨヨ様に、少しお休みを貰った方がいいんじゃない? 貴方がそんなだと、私、心配で……」
 ははっ、と軽い笑い声を立てるビュウ。そして、実際軽く言う。
「大丈夫だって。知ってるか? 本当にヤバいのは、悪夢すら見れなくなった時だ、って――」
「話を逸らさないで」
 だが、彼女に通じるものではなかった。こちらの言葉を遮って紡がれたフレデリカの言葉は、常の彼女からは考えられないほどの強さを――もっと言ってしまえば、強情さを秘めていた。
 強くて、優しくて、そして少し残酷な。

 そこで母を連想してしまうから、マザコンだ、などと姉やら義兄やら父親やらに言われてしまうのだろう。

 ビュウはフレデリカを抱き寄せた。――いや、抱きついた。
 彼女の背中に手を回し、胸元に顔を埋め、そのまましばらく、動かない。
「……ビュウ?」
 恐る恐るといった様子で、フレデリカの手もまた、ビュウの背に回された。
 少しだけ抱き締める力を込めて、その体の柔らかさを実感する。

 あるいは、その甘やかな熱を。

「……大丈夫」
「え?」
「君が、いてくれるから……まだ、大丈夫だ」
 ビュウはやっと、微笑んだ。まだ弱々しいものであったが、心から。


 とりあえず、今夜はもう、悪夢を見ずに済みそうだった。

 

 


 一体これはどういう状況なんだ!?

 ……という野暮な質問は、今回も一切なしでお願いします。


 軽度のマザコンで、悪夢を見る度に錯乱気味になって、しかも女に抱きついてどうにかこうにか癒される。
 こう書くと、何だかヘタレ男ですな。
 でもうちのビュウさん、根はそんな奴です。強いものも持っているけれど、弱い部分もちゃんと持ってます。あんまり弱さを人に見せないだけで。
 こういう時じゃないと、誰かに甘える、って事が出来ない奴なんです。しかも、甘える対象も限定されてるんです。幼少期は母親、現在は恋人。
 まぁ、それはどんな男性でも同じでしょうが。


 ちなみに今回の話、時期的にはカーナ解放後になります。
 うちのビュウは、カーナが解放されてからでないと、恋愛において積極的になれません。何故か、というのは、いずれ『心~』と過去編で。

 

 

 

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