政策の事でヨヨの相談を受けていたら、小脇に報告書を携えたビュウが入ってきた。
扉の開く音に反応して顔を上げたパルパレオスとヨヨ。扉を開けて入ってきたビュウと、視線が合う。
「――あら、ビュウ」
ヨヨが明るい声を出した。まるで、待っていました、と言わんばかりに。
「先日の帝国軍残党兵掃討作戦の報告書をお持ちしたのですが……――」
用向きを告げたビュウは、戸惑いと不審の目をパルパレオスに向ける。その視線をあえて言語化するならば、きっとこうだろう。
『で、女王の執務室に何でお前みたいな余所者がいるんだ?』
「――ヨヨ、俺は席を外そう」
「あら、パルパレオス、でも」
「その方がいい。では、また後で」
パルパレオスは口早にそう言って、執務卓を、ヨヨの傍を離れる。
扉口に向かうと、それを見たビュウが、パルパレオスの通り道を開けた。その彼の傍をすれ違う。
その瞬間、交わした視線は。
……余りにも、鋭かった。
それは。
余所者に向ける目であり。
恋した少女を奪った男に向ける目であり。
あるいは、祖国を滅ぼした略奪者に向ける目であり。
それらに責め立てられるようにして、パルパレオスは執務室を後にする。
§
パルパレオスと入れ違いに執務室に入ったビュウは、半眼のまま、ズカズカとヨヨの座る執務卓に歩み寄った。
「ご苦労様、ビュウ」
「……お前、わざとだろ」
「ん? 何の事?」
とぼけやがって、このクソ娘。
「あいつの事に決まってるだろ」
今はもう閉められた樫の扉を振り返る。その傍ですれ違った瞬間の、パルパレオスの表情を思い出す。
「俺がこの時間に報告書を持ってくる事、確か、朝の段階で伝えてたはずだよな?」
「そうね」
「なのに、都合良くパルパレオスがいる、っていうのはどういう事だ?」
言葉の裏に恫喝の響きを込めて、ビュウはヨヨを見下ろした。しかし彼女は動じない。もっとも、この程度で動じられては困る。
ニコニコと笑って、ヨヨは楽しそうに答えた。
「例えて言うならね」
「あ?」
「私って、要するに、好きな子を苛めたくなるタイプ、みたいなのよ」
「……………………」
ビュウが考え込む事、タップリ十秒。
ヨヨという女の人格を考慮した上での、今の言葉に関する考察は、つまりこういう事だった。
「つまり、お前は……俺と鉢合わせて何となく気まずいなー、っていう顔をしたパルパレオスを見て楽しんでる――と?」
「さすがは私の騎士。良い勘してるわぁ」
パンッ、と軽く手を打って、何やらウキウキと体をくねらせ喜ぶヨヨ。
そんな主君を見て、ビュウは次に取る行動を即決した。すなわち、
「では失礼いたします陛下」
「そんな素早く報告書を置いて退室するなんていう捻りのない真似この私が許すはずないでしょ」
踵を返して戸口へと向かったビュウのマントの裾をむんずと掴み、常の彼女からは考えられないほどに強い力で引き寄せる。
堪らずビュウは怒鳴った。
「くぉらっ、離せこの馬鹿娘っ!」
「んまっ! 主君を捕まえて馬鹿娘、ですって!? そんな事言ってると、俸禄を返上してもらうわよ!? ただでさえ財政難だって言うのに、貴方ってば高給取りなんだから!」
「うるせぇっ! あれでもな、相当譲歩してやったんだぞ!? グランベロスやマハールの将軍職の年収と比較してみろ! と言うか話逸らすな!」
「じゃあ何よ! 私には、好きな人とついでに周囲をおちょくって遊ぶ、という些細な楽しみすら許されないとでも言いたいの!? 冗談じゃないわ! こっちだっていい加減限界なのよあの馬鹿貴族どもの相手をしてるとぉぉぉぉぉっ!」
「喚きながら俺の首を絞めに掛かるんじゃねぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」
ゴスッ!
ヨヨの側頭部を狙って放たれた拳が、相当速度で接触。鈍い衝撃を手首から肘、肩へと伝えた。
その瞬間、殴られた当のヨヨはビュウの首に掛けていた手を緩め、その勢いに流されて体を横方向へと泳がせた。椅子から落ちはしないが。
執務卓に突っ伏して、グッタリと脱力する事しばし――
「――そういうわけでね、パルパレオスってからかい甲斐があると思わない?」
あっさり復活。所要時間、僅か一秒――これまでの最短記録だ、とビュウは内心驚嘆の念を禁じ得なかった。
(と、そうじゃなくて)
「からかい甲斐?」
「そう。前々から思ってたんだけど。そんな感じ、しない?」
「そんな感じも何も――」
ビュウとすれ違った瞬間の、あの何とも言えない申し訳なさそうな表情。
己の出自と、これまでの経緯と。そういったものへのままならなさを辛く思うも、しかしどうする事も出来ずにただ堪えるしかない。
それを思い出して、ああ、とビュウは合点が行った。
パルパレオスという人間の性質は、つまるところ誠実で実直。――と言ってしまえば聞こえは良いが、要するに、素直で頑固で融通がいまいち利かない。感情が余りにもストレートに表情に出てしまう。
他方でヨヨは、そのほぼ真逆の性質を持つ。嘘吐きでひねくれ者。物心ついた時から宮廷に暮らしていた彼女は、常に演技する事を強いられてきた。周囲の者たちにとって都合の良い、「お姫様」の理想形を。
「……まぁ、気持ちは解るがな」
そんなヨヨと根本では同じ性質のビュウには、やはり理解できるのだ。
ヨヨはきっと、そんなパルパレオスを羨ましく思っている。
彼は、自分が捨てざるを得なかったものを持っているから。
だから、からかってしまう――
「解ってくれる? ありがとう。そうなのよー。パルパレオスってね、いじくると面白いのよ。何て言うの? あの、何とも言えない辛そうな表情! 彼くらい整った顔だとね、ああいう憂いに満ちた顔がほんっっっっっとうに良く似合うのよ! そりゃ確かに笑った顔とか怒った顔とかも好きだけどね、やっぱりここはちょっと辛そうな顔なのよ! いやん、もう大好きっ!」
(……前言撤回)
先程よりも激しく体をウネウネとくねらせ、喜色満面に爆走トークをするヨヨを見て、ビュウは疲労に満ちた思考を脳に走らせる。
(こいつは……こういう女だった)
尚もパルパレオスの「憂いに満ちた顔」の魅力についてペラペラと語り続けるヨヨのその言葉を右耳から左耳に流しながら、ビュウが思う事と言えば、少しくらいパルパレオスに同情してやろうかな、だった。
どうせ今後、ヨヨの「好きな子を苛めたくなる」心理で気苦労が堪えそうにないのだし。
何と言うか、「ヨヨに振り回されている」というその点だけで、自分とパルパレオスは十分仲良くやっていけそうだ。やらないが。
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