……そいつらは、真っ赤な光の中で踊っていた。
果てのないオレルスの空のどこかに、太陽はゆっくりと沈んでいく。その残光は鮮烈なまでに赤く、世界を不吉な血の色に染め上げていた。
黄昏時の、ゾッとするほどに赤い光が差す焼け焦げた森の中。かつての鬱蒼とした緑の暗闇は既になく、炎の侵略に葉はすっかり落ち、枝は燃え尽き、燃え残った木からまだブスブスと煙が立ち昇る。その煙が辺り一面を淡い白に染め上げていた。木が焼ける臭いとはまた別の嫌な臭いがする中で、そいつらは、踊る、踊る。
陽気な踊りを。
歓びの踊りを。
戦場跡で繰り広げられるその踊りの最中、何の前触れもなく茂みがガサリと鳴った。
「……マニョ?」
「モニョ?」
そいつら――二匹のプチデビルは、不吉な名前に反して可愛らしいくりくりとした丸い目を、音の方向に向ける。そして、
「……あ、プチデビだ」
不意に現われたのは茶色のお団子。
頭の左右の高い位置で結われた髪が、揺れる。
黒焦げの木々の間からヒョコッと顔を覗かせたのは、丸くパッチリした緑色の目が印象的な、幼い少女だった。
そいつらと、少女は、しばし見つめあう。
両者の間に流れるのは、沈黙と、未だくすぶる火がもたらす白い煙。
この森に火がかけられたのは、確か三日前だったか。一昼夜燃え続けた火は、昨日僅かに降った霧雨で大分勢いを弱められたけれど、完全鎮火には程遠い。中途半端にくすぶる火が呼吸を苦しくさせる煙を生み出す。が、葉が燃え、あるいは落ちて、すっかり見通しの良くなった森――の焼け跡を渡る風が煙をどこかへ運び去る。
クリアになる視界。
鮮やかな赤色の中、少女はしばらく目を丸く見開いてプチデビ二匹を見つめていたが、
「プチデビ一匹、別れの予感。プチデビ二匹、幸せの予感……――」
不意に歌うように囁くと、ニコリと嬉しそうに笑った。
「いい事、ありそう」
チビ死神の踊る夜
そいつらにとって、その出会いは甚だ不愉快で不可解なものだった。
「えへへ〜、プチデビ二匹、嬉しいなっ」
プチデビ二匹がちょこちょこと急ぎ足に歩くその後を、少女は普通に歩いて追いかけてくる。ニコニコと笑いながら。
如何ともしがたいのは歩幅の差。少女はまだ十歳ほどだが、その背丈はプチデビたちよりも頭半分くらい大きい。
ちらり、とそいつらの内の一方が後ろを振り返った。少女と目が合う。
――そもそも、オレルスにおいてプチデビルという存在は不吉だ。
彼らは死神だ。例え小さくても、その踊りは天変地異を引き起こし、絶対的な死を招く。彼らからすれば乏しい魔力しか持たない人間は、その死に抗う術を持たない。
だというのに、少女はニコニコ笑っている。
嬉しそうに。
楽しそうに。
この少女、何故ついてくる?
いやそもそも、何故こんな所にいる?
「マニョ……」
やってらんねぇぜ。そんな風に疲れた溜め息が吐き出される。が、
「マニョ?」
そいつの鳴き声を真似て、少女は不思議そうに首を傾げる。きょとんとした顔が徐々に明るくなっていった。まるで、ほころび咲く花のように。
「貴方、マニョ? マニョっていうの?」
少女は一足飛びでそいつらに近付いた。ズイッと近づける顔は好奇心に輝いている。
反対に、気圧されるようにしてそいつらは身を退かせた。お互いに顔を見合わせ、
「マ、マニョ……」
「モニョぉ……」
「――マニョに、モニョ? 可愛い名前!」
鳴き声と名前は違うぜ!
マニョとモニョという何とも安直な名前を与えられたそいつら――ちなみに、プチデビ間でしか通用しないそいつらの本名は別にある――はそんな風に反論したかったのだが、その声は少女には、
「マニョ! マニョマニョ!」
「モニョー! モニョッ!」
としか聞こえず、
「可愛いな、プチデビやっぱり可愛いなっ! あのね、私メロディア! よろしくね!」
逆に、少女を喜ばせ、名乗られる羽目になった。
彼女――メロディアはひとしきりはしゃぐと、マニョマニョ鳴くそいつをギュッと抱き締めた。まるでぬいぐるみにそうするように。
その一瞬彼女の表情が曇ったのを、そいつらのどちらも見なかった。
さて、そいつらにとって人間というのは不可解かつ興味深い存在である。
自然界においては哺乳類から派生した動物の一種だというのに、同じ種の中で殺し合いを続ける。しかも、その理由は縄張りを守るためだとか、餌を確保するためだとかではない。
「せいじ」という、そいつらには理解不能の概念が大きく関わっているらしい。
そいつらは長い事人間というものを見つめてきたのだが、「せいじ」というのは人間の命を左右するもののようだ。「せいじ」によって人間は争う。その争いが殺し合いに発展する。
「せんそう」。そう呼ばれる、ラグーンそのものを焼き尽くしかねない愚行。
正気の沙汰ではない。そいつらはそう思う。そもそも、同じ種の中で延々と殺し合う事自体、種の多様性を狭め、衰退と滅亡に向かって突き進む事なのだから。
まるで、淘汰が遺伝子に刻み込まれているような所業。
緩慢で遠回りの自殺。
不可解だ。
故に、興味深い。
だから、そいつらは人間社会をつかず離れずで見つめてきた。多くのプチデビルたちが人跡未踏の秘境からひっそりと終末の日を待っているのに対し、わざわざ人間社会の見物にやってきたそいつらは、いわば変わり者だった。
「……マニョ」
「モニョー」
その変わり者たちは、経験則から結論を導き出す。
そんな不吉の象徴プチデビルを可愛いと言って自らついてくるこの人間の少女は、自分たち以上に相当の変わり者ではないか、と。
自ら焚き火を作り、その傍でマントを毛布代わりに眠るメロディアを、そいつらは困ったように見下ろしていた。
人間社会の観察歴が長いそいつらは知っている。この歳頃の少女が一人でこうして歩き回っているなど、おかしい事だった。人間の子供は親に庇護されている時間が長い。例外を挙げればキリがないが、見た限り、メロディアがその例外に当てはまる事はなさそうだ――髪はきちんと整えられているし、肌艶は良い。それに着ている服もまだしっかりしている。
親を亡くした孤児、その中でも更に、野生の動物のような生活をする浮浪児とは、違うようだ。
そいつらは、顔を見合わせた。
「マニョー?」
「モニョー……」
何してんだ、この人間の娘は?
俺が知るかよ……。
そんなニュアンスのやり取りの後、そいつらは肩を落とす。ひどく人間臭い仕草だった。
そうして肩を落として、同時に視線も落ちたその時だった。
そいつらは見た。
眠るメロディアの目尻に、光るものがあったのを。
彼女の唇が微かに動き、
「……ママ……パパ……」
と、ささやかな寝言を漏らしたのを。
そいつらは、再び顔を見合わせた。
こんな小さな少女が、一人で、戦火に焼けた森にいた。
それがどうしてなのか、そしてこの涙の意味が何なのか――人間観察歴の長いそいつらでも、にわかに見当がつきがたい。
けれど。
そいつらは再び顔を見合わせると、揃って仕方ない、と言わんばかりの渋い苦笑を見せた。
――トン、トン、トン。
マニョ、と鳴くそいつがステップを踏み、
――ポン、ポン、ポン。
モニョ、と鳴くそいつが手拍子でリズムを取る。
プチデビルは死神だ。
そのステップは地面を揺るがし、手拍子は風に牙を剥かせる。跳躍すれば雷鳴が轟き、ターンをすれば炎が踊り、水が凍る。時には人間の精神を狂わせ、時には魔物たちを過剰に猛らせる。
プチデビルの踊りは、魔法そのものだった。
彼らは人間よりも遥かに「魔法」というものに近い。彼らには詠唱という呼びかけが要らない。そんなものがなくても、足運び一つ、手の動き一つで、彼らは用意に世界に呼びかけ、揺り動かす。
伸ばした指先そのものが、詠唱。
トンと踏んだステップそのものが、魔法。
それが、プチデビル。
だからそいつらは魔法を踊る。トントントン、と軽やかなステップを踏みながら。すっかり夜の帳が下りた青黒い空に、ポッカリと浮かぶ青白い月。その清浄で神秘的なスポットライトの下で、そいつらは踊る、踊る、踊る。
変化はふぅわりと訪れた。その源は、横たわるメロディア。胎児のように背中を丸めて眠る彼女の体の僅か上。
柔らかな桃色の光が、ポゥ、ポポポゥ……と灯る。キラキラと、細かく、淡く。
まるで彼女に降り注ぐ花びらのように。
光の花びらが、一片、少女の頬に触れる。
そして、少女の口元に、微かな笑みが浮かんだ。
淡く穏やかで、嬉しそうな笑顔だった。
プチデビルは、死神。
けれどプチデビにはプチデビの心があった。人間とは違うけれど、しかしある面で似通った彼らなりの心があった。
それは例えるなら、雨に濡れて震える子猫を見て庇護欲に駆られる人間のそれ。
そいつらにとって、人間は興味関心の対象でしかない。まとわりつかれても迷惑だ。まして変な名前をつけてくれやがって。
ああ、だけど。
「……マニョ」
……泣かれても調子が狂うぜ。
「モニョ」
笑ってくれてた方がまだマシだ。
このラグーン――ゴドランドという大地に伝わる、あのことわざのように。
少女の暖かな夢のため、そいつらはもうしばらくの間、踊りに踊った。
|