目が痛い。
だからグンソーはゆっくりと瞬きをした。ホールで踊る貴婦人たちのドレスの色鮮やかさが目に刺さる。チカチカする。真昼のように輝くシャンデリアの灯りも、それを助長しているかのようだ。
瞬きを、もう一つ。
カーナの解放と新女王の即位を祝う宴は、当然のように舞踏会へと変貌した。王城の大広間は今やきらびやかなワルツの舞台と化し、カーナ滅亡を生き抜いた貴族たちに紛れて、今日のもう一方の主役たる反乱軍の戦士たちがたどたどしく踊っている。
その中心には、新女王。
純白のドレスが、一際目に痛い。グンソーはもう一度瞬きをした。
踊りの輪には加わらず壁際に控え、しかし紳士たちがこぞって踊りや談笑に誘う、そういう見目麗しい女性を「壁の花」という――例えば、向こうでカーナ貴族たちを嫣然とあしらっているミストだ――けれど、それなら、誰にも誘われず、話しかけられず、ただ無粋に壁際に突っ立っているだけの無骨者は何というのだろうか?
「柱」か「置物」か。
どちらであっても自分には相応しい。自嘲的な笑みが口の端に上る。
元々、こういう場は苦手だった。生まれつきの不器用で、無粋で、無骨。踊ればパートナーの足を踏むし、話の輪に加われば気の利いた事の一つも言えずに場を白けさせる。今だって、許されるものならさっさとあてがわれた部屋に引っ込んでしまいたい。
グンソーは、深々と嘆息した。自分は、という思いが心の片隅によぎる。
(どこまで行っても、脇役で、アリマス)
思えば、一ヶ月前のあの出来事もそうだった。
『いやぁ、今日はよく売れたのぅ!』
『もう少しでアリマス、マテライト殿!』
『でも、余り派手にやりすぎるとビュウさんに気付かれますよ?』
ヘビーアーマー隊を率いるパレスアーマーの老人の喜色も、祖国の崩壊から付き従ってきた上官の奮起も、久しぶりに出来たヘビーアーマーの後輩の心配も、その時には理解できず。
その後の騒動も、そして今日に至るまで、グンソーはずっと脇役だ。
ふと視線を上げた拍子にあの純白のドレスの輝きに目を射られ、また目を伏せる。溜め息を吐く。
白い輝きが呼び起こす、それはあの騒動の顛末だった。
脇役のススメ
「というわけで、だ、グンソー」
何が「というわけで」なのかが全く解らない――
ダフィラ解放直後の、ある昼下がりである。明日はユルムンガルド神殿に赴く、そういう時期である。我らが反乱軍会計役、略して「雑用」のビュウ氏は、その準備に走り回らなければいけない時である。
それがどうして、ファーレンハイトで体を休めているグンソーの所にやってくるのだろう?
しかも、険しい顔で。
おまけにその顔をやたらと近付けてきて、小声でヒソヒソと、である。
わけが分からない。というか、
「……気味が(ボリボリ)悪いでアリマスよ、ビュウ(ボリボリ)」
「やかましい。いいから、あんたに聞きたい事がある」
据わった目で「いいから」と言われても。だがグンソーは、
「はぁ……(ボリボリ)」
と、曖昧に頷いた。同時に愛用の孫の手で背中を掻く。通気性の悪い鎧に加えて、昼間のダフィラの暑さと、生まれつきの皮膚の弱さ。すぐにあちこちかぶれて、どうしようもなく痒くなる。そこで重宝するのが孫の手、というわけだ。キャンベルの文化が生み出したこの木製棒状の道具は、手の届かないところを掻くのに非常に便利。素敵だ。
初対面の人間ならば眉をひそめるグンソーの掻きむしり癖も、ビュウは慣れたものである。特に不快感を覚えた様子もなく、
「さっき、マテライトたちが戻ってきたな?」
「ああ(ボリボリ)、そう言えば、戻ってこられた(ボリボリ)ようでアリマス」
「様子はどうだった?」
「(ボリボリ)……何やら、上機嫌だったでアリマス」
「何か話していたか?」
グンソーはふと、孫の手を動かす手を止めた。
何故ビュウは、これほど険しくも真剣にマテライトたちの様子を聞いてくるのだろう?
「……マテライト殿が、どうかしたでアリマスか(ボリボリ)」
声をひそめて尋ねる。兜の下の目を、心持ち細めて。
その眼光を見て取ったか、相手もまた目を鋭くさせた。
睨み合いのような、刹那。
「――……例えば、だ」
不意に話の方向を転換させるビュウ。その意図が分からず、彼は訝しげに眉根を寄せる。
「あんたの信頼する人が、何やら良くない事をしている。良くない事ってのは、組織に不利益をもたらすものだ。――あんたはどうする?」
言っている意味が解らない――
だが、それを言うのは憚られた。彼の視線が余りに鋭かったからだ。気圧されたように、グンソーはその言葉を飲み込まざるを得なかった。
代わりに搾り出したのは、
「マテライト殿が……反乱軍の不利益になる事を、している、というのでアリマスか?」
文脈を推察すれば、そういう事になる。
言ってからグンソーはその重大性に気付いた。マテライトが、反乱軍結成の立役者にして大幹部の一人、紛う事なき大黒柱の老パレスアーマーが――……反乱軍に、背く事をしている?
カーナとヨヨ王女への忠誠心は誰よりも篤い、あの老将が?
あり得ない。
そう、笑い飛ばしたかった。
「……何の、冗談で、アリマスか?」
だが出てきた声は強張っていた。声帯も、体も、驚きで硬直していた。悩ましい痒みさえ感じられなくなっていた。背中を掻く手が止まり、いつしか孫の手を握る力もなくなる。パタリ、と膝に落ちる。不格好に背中に突き立った孫の手が滑稽だった。
だがビュウは顔色一つ変えなかった。険しいままだった。鋭い目のままだった。そのままの顔で、
「だから、確認をしなけりゃいけない」
と――
彼は不意に、踵を返して歩き始めた。背中を向け、男性部屋を出て行こうとする。
「ビ、ビュウ?」
思わず呼び止めてみれば、
「付き合ってくれるか、グンソー」
肩越しに振り返った青年の、
「戻ってきたマテライトたちの様子がどうだったか、倉庫でじっくり聞かせてくれ」
その碧眼は、真冬の青空を思わせる冷たさを宿していた。
倉庫というのは、マテライトが使用しているマテ印製品の在庫置き場だ。
それほど広くはない。男性部屋の半分ほどの床面積に、棚が所狭しと並べられているのだ。その棚に置かれているのが、件のマテ印製品――マテライトのサイン(と、かの老将は主張しているが、グンソーの目には走り書きの署名にしか見えない)が堂々と記された鎧と斧だ。
それだけなのに、鎧は三〇九〇ピローで、斧は二〇六〇ピロー。
ぼったくりではないかと思うのだが、そこそこ売れているというのだから、商売というのは不思議だ。
「つまり――」
今日はそれなりに売り上げがあったらしい。在庫の棚は所々余裕がある。腕を組み、その棚を睨むように眺めているビュウは、隣に立つグンソーに視線を一切向けずに問いを放った。
「『今日はよく売れた』……マテライトは、そう言っていたんだな?」
「そうでアリマス(ボリボリ)。上機嫌だったでアリマス」
それは本当であり、少しだけ嘘だった。
――ビュウが戻ってくる、一時間ほど前の事だ。ダフィラの街にマテ印製品を売りに行ったマテライト、タイチョー、バルクレイの三人が上機嫌に凱旋した。かなりの売り上げが出たらしい、特にマテライトの喜びは大きく、声まで大きかった。そのマテライトに従うタイチョーも喜んでいた。
ただ一人、バルクレイだけが、
『余り派手にやりすぎるとビュウさんに気付かれますよ?』
と不安を訴えていた。
派手にやりすぎると気付かれる……――何をやりすぎる? 何に気付かれる?
解らなかった。
大体グンソーは、それほどマテライトの商売に深く関わっていたわけではない。グンソーはあくまでタイチョーの部下であり、マテライトの部下ではないのだから。戦闘中ならまだしも、休息の時までその命令を絶対的に聞く必要はない。
それでもキャンベルで商売をやり始めた頃には義理とタイチョーのために付き合っていたのだが、不器用で無骨なグンソーは接客には向かなかった。すぐにお払い箱になった。
ありがたくもあり、少し寂しかったのは、ここだけの話だ。
だから、
「――……俺、というか反乱軍の会計が、マテライトからいくら倉庫使用料を徴収しているか、知ってるか?」
という唐突な言葉の意味が、解らなかった。
「倉庫使用料……で、(ボリボリ)ありますか?」
「ああ。ファーレンハイトは反乱軍の旗艦、公共の施設だ。その倉庫を私用で使うんだ、使用料くらい徴収するさ。
で、いくら払わせているか、タイチョー辺りから聞いていたりは?」
「……自分は、今、ほとんど関係がないので(ボリボリ)」
「そうか」
反乱軍の財布の番人はあっさりと頷いた。別にどうでもいい事だったらしい、やはりあっさりと答えを告げる。
「売り上げの半分だ」
半分。
五割。
五十パーセント。
売り上げ千ピローならば、五百ピロー。
「……高すぎでは(ボリボリ)?」
「これでも大分安めに見積もったんだけどな」
サラッと言ってのける、会計役の説明はこうだった。
そも、商売を始めるには元手が要る。例えば人件費、例えば店舗の家賃、例えば商人たちの組合への加盟費用、例えば地域の顔役に払う場所代。
けれどその最たるは、やはり仕入れ費。
商品をどこかから買いつけ、仕入れ値に諸々の経費と利益を合わせた数字を売値にして、売る。
売値は、高すぎれば売れず、低すぎれば利益が出ない。その設定には絶妙のバランスが必要だ。
だからこそ、純益はそれほど大きくならない。場合によっては、仕入れ費の一割も出ない事があるという。
「だが、マテライトの商売は違う」
マテ印製品は、全て中古品だ。
どこかから新品を買いつけているのではない。戦場で拾った、まだ使えそうな中古品に、サインを入れて、売っている。それだけだ。
つまり、原価ゼロ。
加えて人件費も(部下をそのまま使っているから)ゼロ、家賃も(商売の先々で適当な家を乗っ取ったり露店で始めたりするから)ゼロ、組合加盟費も(本職ではないので)ゼロ、場所代も(顔役の命令で徴収に来たチンピラはその場で撃退するから)ゼロ。
すなわち、
売り上げ=純益
「……ボロ儲け(ボリボリ)で、アリマスね」
「大体、本来なら俺が一括して中古屋に売る武具の中古品を勝手に再利用してるんだ。最低でもその分は会計に還元してもらわないと困る。だから、売り上げの五割だ」
ちなみに、やはり商売をしているビッケバッケからは純益の一パーセント、クルーからは三パーセント、それぞれ徴収しているそうだ。ケチンボ会計とは思えない良心的な価格設定だ。
そこまで説明すると、話を戻すが、とビュウは話を切り替えた。
「さっき、マテライトから倉庫使用料が支払われた。支払額は五一五〇ピロー」
売り上げの五十パーセント、という事は――
「売り上げは……一〇三〇〇ピロー、でアリマスな(ボリボリ)」
「聞けば、今日は鎧二つに斧二つしか売れなかったそうだ」
それが、
「――『よく売れた』だと?」
呟かれた声は低かった。
一瞬ギョッとするほどに、押し殺された怒りに満ちていた。
思わず目を見開くグンソーの隣で、ビュウはこれでもかとばかりに目を吊り上げ、口の端に不敵で凶悪な笑みを浮かべていた。
こめかみに、青筋が一つ、二つ。
ク、ククク。漏れ出た笑声はむしろ悪役風味。おぉ、ビュウの顔が悪役でアリマス。グンソーは内心で驚きの声を上げる。よくよく考えればちっとも珍しくもないし驚くべき事でもないのだが。
「あの金ピカジジイめ……この俺が、マテ印製品の在庫数をチェックしていない、とでも思ったのか?」
クク、ククククク。不気味な笑いと共に悪の帝王もかくやというどす黒いオーラを四方八方に振り撒いて――
「ありがとう、グンソー。助かった」
短く告げると、ビュウは倉庫から出ていった。
その背中を見送り、少し迷ってから、グンソーは悪役モードの財布番を追った。
ビュウの足は速い。
あっという間に置いてけぼりにされた。
だが行く先の予測はついていた。グンソーはノロノロと階段を上る。
目指すは、艦橋。
「しらばっくれんじゃない、マテライト! ネタは上がってるんだ!」
「ならば物的証拠を見せてみぃ!」
二階から、三階艦橋へ。上がる階段に足を掛けた直後に響いてきた怒声は、ビュウとマテライトのものだった。
最早、双方とも冷静とは言いがたいらしい。場合によっては流血沙汰になっているかもしれない。せめてそこまでの理性は残しておいてほしいでアリマス、と彼は慎重に艦橋に上がる。
果たして、艦橋では、
「物的証拠、だと? ――あんたが支払った倉庫使用料だ!」
ビュウと、
「使用料じゃと!? あんなもののどこが物的証拠じゃ!」
マテライトが、
「マテライト殿ー! 落ち着くでアリマスー!」
「ビュウさんも! 頼みますから、少し冷静になってくださいよ! ――ほら、ホーネットさんが睨んでます!」
「「やかましい!」」
取っ組み合いを、演じていた。
それを止めようというのか、二人を羽交い絞めにしようとしたタイチョーとバルクレイは、一喝されて身を引かせてしまった。その隙に二人は艦橋のど真ん中でお互いの胸倉を掴み合う。普段なら「艦橋では静かにしろ」というホーネットも、その雰囲気に圧されたか、睨むだけで具体的な行動を起こしてはいない。
(予想通りで、アリマス)
「なら、一から説明してやろうか、マテライト」
鎧の下の戦闘服の襟を掴んで引き寄せて、ビュウは老パレスアーマーに凶暴な顔で詰め寄る。
怯みもしないマテライトは、悪役モード会計役を真っ向から睨み据えながら、続く言葉を待つ。
「あんたが支払った使用料は五一五〇ピロー。売り上げは一〇三〇〇ピロー、その内訳は鎧二つに斧二つ。――バルクレイ、ここまでに間違いはないか?」
突然話を振られ、バルクレイはビクリと身を震わせて硬直しながらも、素早く頷いた。
「前回も、前々回も、支払金額と売却個数は大体同じだ。だから、少し調べさせてもらった」
タイチョーが、あからさまに顔色を変えた。
「クルーの話によれば、あんたたちが商売しに行く時、荷物を山のように抱えていく。だが、帰ってくる時はほぼ手ぶらだ」
「ふん! 鎧も斧もかさばるから、量はともかく数はそれほど多くは持ってゆけんのじゃ!」
気のせいだろうか? マテライトの声が、僅かに震えた。
対するビュウは、そんな弁解など聞かなかった態で話を続ける。
「そこで俺は、独自に在庫チェックを行なった」
バルクレイとタイチョーの顔色が僅かに青くなる。マテライトが視線を泳がせ始めた。
「昨日の夜の時点で、鎧の在庫は三十五、斧は四十二、あった。今さっき確認してきたら、鎧は二十三、斧は十八」
目線を逸らす老将を、彼は鼻で笑う。
「単純な引き算だ。あんたたちの今日の売却個数は、鎧が十二、斧が二十四。
――成程、でかい声で『よく売れた』と言いたくもなるな」
冷ややかな声に誰も声がない。
そしてグンソーもまた、絶句していた。
まさか、という言葉しか浮かばなかった。
反乱軍は軍だ。戦うための組織だ。敵はグランベロス帝国、彼らとの戦いが第一義だ。それに支障をきたすような事があってはならないし、だからこそ、ビュウも条件つきで戦闘員の商売を認めているのだ。
それなのに。
それなのに――
(マテライト殿が……)
会計に、反乱軍に不利益な事をしている、なんて。
横領を、働いていたなんて。
しかもビュウの口ぶりから察すれば、
(まさか……ずっと、以前から?)
背中の痒みが、またも消え失せていた。開いた口は塞がらなかった。
だから、続けて守銭奴会計が言い放った言葉に、顎が外れるかと思った。
「――……誤魔化して着服した倉庫使用料は、三八一一〇ピロー。罰金込みで四万ピロー、後で払ってくれれば大事にはしない」
マテライトの胸倉から手を離し、凶悪な笑みを打ち消し、無表情で溜め息を吐くビュウ。
突然の妥協案に、タイチョーとバルクレイが困惑の態で顔を見合わせた。マテライトも警戒心を露に財布番を睨んでいる。
「……何のつもりじゃ、それで無罪放免とは」
「その代わり」
と、問いなど聞こえていないという素振りで、ビュウは言う。
「商売の目的を聞かせてもらう」
マテライトの体が震えた。
「考えてみれば、俺はまだ、あんたが何で慣れない商売に勤しんでいるかを聞いていない。その儲けを何に使うつもりかも知らない」
そこで言葉を切って。
ビュウは、マテライトと、タイチョーとバルクレイを、順繰りに見た。
「それが、四万ピローで手打ちにする条件だ」
考えてみれば――
それは、グンソーも知らなかった。
だからずっと以前から気になっていた。何故、軍事一筋ン十年のこの老人が、そんな畑違いの事をし始めたのか、と。
だから彼は階段口から身を乗り出す。身を乗り出し、耳をそばだてて、マテライトの答えを待つ。
「――言えん」
それが。
待ちわびた、マテライトの答えだった。
「……言えない、だと?」
ビュウが険悪に顔をしかめるのも無理はなかった。
秩序だの規則だのと常日頃やかましいのは、マテライトの方だった。そのマテライト自身が規則を破り、だがビュウは会計役としては破格の妥協案を示した。
それなのに――そこまでしてくれたのに――
「マ、マテライト殿――」
「黙っておれ、タイチョー。
ビュウよ、わしの商売の目的、今はまだ言えん」
老パレスアーマーの表情は、いつしか真摯そのものだった。誠実という言葉をそのまま表情にしたものだった。
その表情に、ビュウはイライラと頭を掻きむしり、溜め息を吐く。
「あんたなぁ……ふざけてんのか?」
「ふざけてなどおらん。例えお前であっても、言う事は出来んのじゃ」
「何でだ」
「何でも、じゃ。だが誓って言おう、我が商売はヨヨ様に仇なすものでは――」
「ふざけんな」
その声音に、グンソーはハッとした。
低く押し殺された怒りの声音。
それは、ビュウが怒りを爆発させる兆候だ。ジリ、と詰め寄るその動作の不穏さが、さらに危険な兆候だ。
グンソーは咄嗟にマテライトを見る。長い付き合いとも言えないが、かと言って短い付き合いでもない異国の老将。とても誉められたものではないところもあるが、それ以上に良いところも、見習うべきところもたくさんある。今やグンソーにとっては、尊敬すべき軍人の一人だ。
タイチョーを見る。十年以上の付き合いになる上官だ。マハール騎士団に入団した頃から、これまで。彼の元に配属されてから、グンソーはずっとタイチョーに付き従ってきた。騎士としての心構えも覚悟も、全て彼から教わった。タイチョーは上官であり、師であった。
バルクレイを見る。グンソーよりもずっと若い彼。まだ未熟な後輩だ。だがヘビーアーマーとして素晴らしい資質を秘めている。いささか愚痴っぽいところはあるが、その豊富な知識と貪欲なまでの好奇心は頼り甲斐がある。きっと素晴らしい士官になり得るはずだ。
結論は、すぐに出た。
そこから先のグンソーの行動は素早かった。
彼は階段口からサッと艦橋に上がると、ビュウの視界に入らないようにコソコソと移動、ホーネットの隣に並ぶ。怪しげな視線を向けてくる航空士に静かにしていてくれと目線で頼んで、ソッと操舵輪の横の窓によじ登る。たまにビュウが甲板に出るために飛び降りる所だ。
窓を開ける。
甲板では、戦竜たちがのんびりとくつろいでいた。ちょうど、この要塞部分が甲板に影を落としている。その涼しい日陰で、六頭はウトウトと昼寝を楽しんでいた。
グンソーは懐を探る。
「それ」を取り出す。
ホーネットがギョッとした顔を向けてくる。
「グンソー、お前、それは――」
グンソーは聞かない。
手に持った「それ」を、甲板へと落とす。
他の者には、『グンソーの???』という通称で知られる、「それ」を。
――ポトリ。
戦竜たちが、パニックの悲鳴を上げた。
「――サラ!?」
ビュウの変化は劇的だった。極悪会計の姿は鳴りを潜め、戦竜を愛する我らが戦竜隊長に戻る。
「アイス、ホーク、モルテン、ツイン、ムニムニ!? どうしたんだ、今行く!」
表情が冷ややかな怒りから愛に溢れた焦燥に変わる。マテライトを押し退けると疾風のごとく駆け出す。尻餅を突いたマテライトは完全に無視だ。そして、窓の所にいるグンソーには全然気付かないまま、反対側から何のためらいもなく甲板へと飛び降りる。
残されたのは、ヘビーアーマー隊と、ホーネット。
「今のは(ボリボリ)、ビュウには内緒でアリマス」
「あ、ああ……」
びっくりともげんなりともつかない表情で頷いたホーネットを背後に、マテライトへと歩み寄るグンソー。
「(ボリボリ)大丈夫で、アリマスか?」
床で呆然としている老将に手を差し出せば、
「スマン。……助かった」
「とんでもないでアリマス(ボリボリ)」
「だが、何故助けてくれたのじゃ?」
向けられたマテライトの目には、怪訝と申し訳なさがあった。
わしは、お主をお払い箱にしたのじゃぞ? それなのに、何故。
そんな風に、物語っていた。
掴んだ手を引っ張り、老パレスアーマーを立たせ、グンソーは笑う。少し困った笑いだった。
正直な話、何と説明すれば良いのかが分からない。
明確な目的はなかった。強いて言えば何となく、だし、無理矢理こじつけるならヘビーアーマー隊の隊員としての義理だとか、上官が世話になっているお礼だとか、まあ色々ある。
ただ、それらを突き詰めていけば、
「――……きっと、ビュウと同じ理由でアリマス」
あの破格の妥協は、きっとそういう事だろう。
腹黒でどケチで凶悪な会計役は、ごく稀に人情を見せるのだ。
だがそれは、いちいち口に出して説明するほどの事ではない。きょとんとする三人にグンソーは曖昧に笑ってみせた。それから敬礼する。
「では(ボリボリ)、失礼するでアリマス」
「――待て」
踵を返したグンソーの背中に、マテライトの声が掛かった。
「話を聞いてゆけ、グンソー」
グンソーは振り返る。
マテライトは、覚悟を決めた、固い表情をしていた。
「いいので、アリマスか?(ボリボリ)」
「助けてもらった礼じゃ。聞いていってくれ」
タイチョーもバルクレイも、異論を挟んではこなかった。
グンソーは改めて彼らに向き直った。
そして、マテライトは語りだした――
「――グンソー?」
掛けられた声に、彼は我に返った。それから、一瞬だけ今自分のいる場所が判らなくなり、すぐに思い出す。
ファーレンハイトの艦橋、ではない。解放されたカーナの城の、大広間だ。グンソーはそこで壁の花ならぬ壁の置物をしていたのだ。
そして声を掛けてきたのは、
「ビュウ、どうしたでアリマスか?」
夜会用らしいカーナ軍の平服姿は中々似合っていた。だが、その服装にはまるで似つかわしくない口と目を丸くした間抜け面で、ビュウはグンソーの傍で立ち尽くしている。
「いや、あんた……グンソー、だよな?」
「そうでアリマス、自分でアリマス」
「ボリボリ掻いてないけど」
「今は痒くないでアリマス」
「鎧着てないけど」
「こんな場に鎧を着るほど無粋ではないでアリマス。普通に平服を着るでアリマス。服を着ればかぶれともおさらばでアリマス」
「いや、何つーか、あんたの素顔って割りと……いや、何でもない。
ところで、マテライトを探してるんだが、見なかったか?」
キョロキョロと辺りを見回すビュウ。つられてグンソーも同じように見回して、
「……見えないでアリマスね」
「だな」
「どうしたんでアリマスか?」
「実は」
と、くたびれた様子で深々と吐息。
「城下の仕立て屋の女房が、来ててな」
「はぁ」
「何でも、金ピカの鎧を着た爺さんに、大急ぎでドレスを一着仕立ててくれ、と頼まれたらしい。猶予は一日、その分大目に料金を貰って、仕立て屋は大急ぎで純白のドレスを仕立てた。
――が、今日の戴冠式に間に合わせるために、仕立て屋はとんでもなく無理をしたらしくてな。そのままぶっ倒れて寝込んだそうだ。
で、常識外れの無理をさせた金ピカ鎧の爺さんに、治療費を出してもらいたい、と」
「報酬は」
「材料費と人件費で消えたそうだ」
「そうでアリマスか」
うぅん、とグンソーは唸る。
「申し訳ないでアリマスが、やはり自分は見てないでアリマス」
「それなら仕方ない。あんたが申し訳なく思う事はないさ。
それにしても――」
広間の中央に目をやるビュウ。
そこで揺れる、件の純白のドレスに目を細める。
それをまとうヨヨ女王と、彼女のダンスのパートナーを務めるパルパレオスに。
「……あのドレスを突貫で仕立てるために、あの爺さんは金を稼いでたのか?」
「違うでアリマスよ」
即座に否定が返ってくるとは思わなかったらしい。ビュウの目がまた丸くなった。
だが、いちいち説明するのも無粋というものだろう。グンソーはふと気付いたという口調で話を変える。
「それはそれとして、探しに行かなくていいでアリマスか? 仕立て屋の奥方をいつまでも待たせるのは良くないでアリマス」
「――……だな。邪魔したな、グンソー」
苦笑いを残し、平服の裾を翻して人込みを掻き分けて去っていくビュウ。
その背中を見送って――見えなくなったところで、グンソーはすぐ傍の窓に歩み寄った。大広間にいくつもある、テラスへと通じる窓だ。開け放たれてはいないが、鍵も掛かっていない。
グンソーは、広間の熱気から避難する風を装って、テラスに出る。
そして、囁く。
「そういうわけで、早く戻った方がいいでアリマスよ、マテライト殿」
「……やかましいわ。うぅっ、ヨヨ様……――」
「マテライト殿……よしよし、でアリマス」
暗がりから返ってきた嗚咽と、それを慰める優しい声に、グンソーは苦笑した。
カーナ城を、再建するのじゃ。あの日、そう説明されたマテライトの望みは、グランベロスの(当然といえば当然の)働きによってあっさりと砕かれていた。
おまけにそのグランベロスの亡命将軍に大切な姫を取られれば、泣きたくもなるというものだ。
だがマテライトはそのやりきれなさをグッとこらえた。グッとこらえて、彼女に戴冠式のためのドレスをプレゼントした。
とてもよく似合っていた。
結局こらえきれなくてこうしてコソコソ隠れている辺りが情けなくもあるが、それはご愛嬌というもの。彼の尊敬すべき部分が全て損なわれるわけではない。
マテライトのすすり泣きは、途切れ途切れに続いている。
それを背景に、グンソーは一つ伸びをした。もう戻るか、でアリマス。心の中の呟きは、奇妙なほどに満ち足りていた。
自分は、脇役だ。
役目を終えた脇役は、さっさと舞台から降りるのが筋というもの。
無粋な自分ではあるが、それくらいはわきまえている。だから暗がりには決して目を向けず、グンソーはテラスから去った。
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