まったくもって唐突だが、反乱軍の移動拠点ファーレンハイトの話をしよう。
 ファーレンハイト。その名の由来は高き空を行く事にあるのかそれとも華氏温度なのか、議論は様々あれど、音の響きそのものは中々に洒落ている。その名を得る前は「空の要塞」などという固有名詞ですらない通称で通っていたのだから、尚更であろう。
 元々はカーナ王家専用の貨客船だった。運用年数は、正確なところは不明。カーナの敗戦後、この船を接収したグランベロス軍の技術者をして骨董品と言わしめたというから、まぁそういうわけである。
 さてそのファーレンハイト、その外観は非常にシンプルだ。一言で表現するなら、小規模の要塞が建つ小さなラグーン。ラグーン部分が船体であり、要塞部分が艦橋。甲板上には植物が自生しており、特に艦橋裏手は雑木林の態をなしているから、その姿は本当に自由に空を飛ぶ小さなラグーンだ。実際本物のラグーンを改造したのでは、というのが専らの噂だが、真相は闇の中。

 閑話休題。

 ともあれ、そんなこんなで艦橋裏には雑木林がある。ここは中々重宝されている。何せ、煮炊きに使う薪を調達できるのだ。普通の軍用艦ならばあらかじめ積んでいなければならず、足りなくなればどこかに寄航して調達しなければいけないその手の燃料を、すぐ傍からタダで手に入れられるのだ。反乱軍の財布のひもを握る某戦竜隊隊長が泣いて喜んでいるのは、ここだけの話だ。
 それ以外にも、この雑木林は反乱軍の兵士たちにありがたがられている。木漏れ日差す雑木林は格好の憩いの場だし、視界が利かない事を利用してデートに使う者もいる。らしい。多分。
 そして、艦橋裏口から出てすぐ、雑木林の手前辺り。
 ポッカリと開けたそこは、物干し場である。
 艦の進行方向によってはとても日当たりが良いのと、戦竜たちが寝起きし、かつ、時には戦場になる甲板には洗濯物など干していられないのと。そんなこんなで、そこは物干し場となっている。


「いやー、今日もいい天気ねー」
「えぇ、本当に」
 艦橋裏口から出て空を仰ぎ、ディアナが機嫌の良い声を上げた。続く控えめな声はフレデリカ。二人とも、かごを抱えている。洗い終えたばかりの洗濯物が山と積まれていた。
 そのかごを地面に置き、等間隔に突き立てられた支柱と、その間に渡された洗濯ひもを前に、ディアナは腰に手を当てる。
「さ、パパッと終わらせちゃいましょ。他の仕事も訓練もある事だし」
「ふふ、そうね――」
 と、不意にフレデリカの声が途切れた。
 何事かとディアナはフレデリカを見、友人の視線が釘付けになっている先――二人から見て左手側、繁る木々の一番手前に視線をやる。
 そして、彼女もまた絶句した。
 一言で言えば――


 ドラゴンが、団子になっていた。










何でもない日の事












 人間、驚きすぎると逆に無感動になる。
「……わぁ」
 ドラゴン団子を目にしたディアナの第一声は、我ながらどうかと思うほどに棒読みだった。
 と、言うか、他にどんな反応しろっての。誰にともなく反論したくなる。
 何せ、ドラゴン団子。
 赤、青、白、灰、紫、橙。様々な色の体躯が丸まり、ギュウギュウ詰めになり、小山をなしているのだ。普段なら表の甲板で寝ているはずの戦竜たちが。ドラゴン臭さが洗濯物に移るから、と戦竜の侵入は固く禁止されているはずなのに。そして戦竜たちは皆頭がいいから、素直にそれに従っている――

 はずなんだけど。

 獣臭さとはまた違う、どこか硬質の異臭に顔をしかめながら、ディアナは首を傾げた。さて、どうしたものか? 洗濯物は……ちょっと干したくないなぁ。
 困ったディアナの隣で、フレデリカが不意に身じろぎした。あ、と小さく声が漏れる。どうしたのか、とディアナは友人とドラゴン団子を交互に見――気付いた。
 ドラゴン団子の、下の方。

 足が生えている。

 黒っぽいズボンをはいた、人間の足が。

 うわー、オチが見えたかも。無意味に天を仰ぐディアナに対し、フレデリカは悲鳴のような声を上げる。
「ビ、ビュウ!?」
「ぅお!?」

 ガバッ、ズサッ、バササッ。

 その悲鳴が契機になった。ビクリと跳ね起きた足――もとい、ビュウの動きに合わせ、戦竜たちが退き、あるいは羽ばたいて飛び退く。何だかやたらとヨレヨレになった感じの彼は、寝惚けた顔でキョロキョロと辺りを見回し、
「あれ……? 朝、か?」
 顔も寝惚けていれば声まで寝惚けている。寝惚け眼がこちらに据えられ、そこでようやくディアナたちに気付いたらしい。ろれつの回らない声で、
「……あ、フレデリカ、ディアナ。えーと、おはよう?」
「何で疑問形なのよ」
「お、おはようございます、ビュウさん」
 突っ込むディアナと律儀に頭を下げるフレデリカ。そしてビュウは、フレデリカに頭を下げ返している。……ディアナの突っ込みはなかったものにされたらしい。
「……二人が洗濯かごを持っている、という事は……もう八時か?」
 頷いたフレデリカに、ビュウはあー、と呻いた。寝惚けた調子はだんだんと抜けてきていて、代わりに何だか気だるげだ。
「朝飯逃したか……。参ったな」
 そういえば、朝食の時にいなかったか。ビュウは食堂で皆と食べる事が少ないから、気にも留めていなかったのだが、
「まさかビュウ、一晩ここで過ごしたの?」
「ああ。実は――」


 ビュウ曰く。
 昨晩の事。
「ビ、ビュウ、実は、実はワシ……して、ほしいの」
「何をだ!? というか何であっても断る! 断るったら断る、嫌ですジジイ!」
「え、そんな……ワ、ワシ、一緒にお酒を……酷い、ビュウ……」
「って何で俺の部屋に入ってくる!?」
「だから、ワシ、お酒を……」
「だから、い・や・だ!」


「――って逃げ回って、結局部屋に戻れなくて、ここで一晩明かしたわけだ」
「大変だったんですね、ビュウさん……」
 ドラゴン臭さも物ともせずにビュウの傍に座って、フレデリカが同情を見せていた。
 遠めで眺めるディアナとしては、呆れるばかりなのだが。
(あー、だから今朝、センダック老師ってば食堂に来なかったんだ。ゾラが「部屋で寝込んでる」とか言ってたけど、そういう事だったわけね)
 そして、深々と呆れ混じりの溜め息。
「じゃあ、戦竜たちと一緒に寝ていたのは?」
「夜はまだ少し冷えるだろ? こいつらとくっついて寝ればまだ寒くないし、それに、もしセンダックが来ればこいつらが気付いてくれるからさ」
 と、ビュウはフワァと大欠伸をして、
「いや、でも助かったよ、皆。ありがとう」
 戦竜たちそれぞれの首元に手を伸ばし、さすり始める。すると、戦竜たちは気持ち良さそうに目を細める。撫でられてゴロゴロと喉を鳴らす猫みたいだ。どの戦竜も嬉しそうにビュウに身をすり寄せ、クルル、と鳴く。鋭く低い咆哮で敵兵を怯えさせる戦場での姿とは大違いだ。特に、サラマンダー。帝国軍からは緋色の悪魔と恐れられているというのに、ビュウの顔をベロベロと舐めるその姿は、まるきり甘えん坊の子犬だ。
 そして、そのサラマンダーにつられて他のドラゴンもビュウを舐めだし、

「ははっ、お前らやめろって」

 ドラゴンたちはベロベロ舐めて、

「おい、だから、やめろって」

 ベロベロベロベロ、

「あー、もう……まったく、しょうがないなぁ」

 ベロンベロンベロンベロンベロンベロンベロンベロン……

 だんだんとエスカレートしていく戦竜たちの顔舐めは、もう顔と言わず頭と言わず、というかむしろ何だか食いついてない? という感じになってきている。それでも笑っていられるビュウが凄い。さすが戦竜隊長。
「あぁ、ビュウさん、そんなにドラゴンのヨダレをつけて、ドラゴン臭くなっちゃって……。あの臭いって、中々落ちないのに……」
 おろおろするフレデリカは、不意に閃いたらしく手を打って、パタパタとディアナの傍に戻ってくると洗濯かごをあさり、何かを掴んでまたパタパタと戻っていった。
「あ、あの、ビュウさん、これで拭いてください」
「え? ――あ、ありがとう、フレデリカ」
「い、いえ……」
 フレデリカが差し出したのは、濡れタオル。
 それを受け取るビュウは、少し戸惑っているようだが、嬉しそうだ。
 その様子に、彼女もポッと頬を赤らめ――

(って言うかそれ、洗ったばっかりのタオルなんだけど)

 そしてついたら中々臭いが落ちないと評判のドラゴンのヨダレが、洗いたてでまだ乾いてもいない真っ白なタオルにしみこんでいく……――

 思わずディアナは、空を仰いだ。

 本日、快晴。
 何だかんだ言って、今日もほどよく平穏である。

 

 

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