カチ、コチ、カチ、コチ、カチ、コチ、カチ、コチ――


 広間に置かれた時計の針が、重苦しい静寂を秒単位で切り刻む。その時計というのは、旧王国時代の道楽に走ったとあるボンクラ国王が、ゴドランドだかカーナだかの高名な職人に大枚をはたいて作らせた大時計で、細工は豪華、時間は正確、分針が十二を指せば――つまり描く時間の零分ジャストの時に、ちょっとした仕掛けが作動する、という素敵なギミックつき。まぁ要するに――

(フレイムヒットでも叩きつけてくれようか)

 苛立ち紛れに、パルパレオスは胸中で吐き捨てた。椅子の背もたれに背を預けず、几帳面に着席した時のままの姿勢を保ち続ける彼のこめかみには、うっすらと青筋が浮かんでいた。そのイライラを助長するのが、カチコチカチコチうるさい大時計の秒針の音。グランベロスどころかオレルス世界を探しても珍しい大時計は、最初の頃こそパルパレオスに感銘を与えたけれど、今はもううるさくてうるさくてあぁもういっそ本当にフレイムヒットで切り刻んで焚きつけにでもしてくれようか!?
 パルパレオスのイライラは、室内の雰囲気を汚染していった。いや、それは彼ばかりではない。誰もがイライラしていた。ハラハラしていた。パルパレオスの左隣に座るアーバインはムッツリと押し黙りながらもチラリチラリと時計を気にし、その隣のバーバレラなどはコツコツと指で卓を叩いて、苛立ちをあからさまにしている。更に隣のペルソナはうんざりした表情で下座側の扉に二分に一回のペースで視線を送っている。ちなみに最初は十分に一回だった。この二時間でペースは確実に上がっている。
 さて翻ってパルパレオスたちの反対側はどうなっているか。アーバインの向かいに座るレスタットはいやらしくニタニタと笑い、バーバレラの向かいに座るゾンベルトは倣岸にも腕を組んで胸を張っている。ペルソナの向かいのラディアは……呑気に居眠りしていた。
 パルパレオスの向かい側はどうなっているか? 彼はそれをあえて意識しまいとしていた。ラディアめ、また居眠りを――そんな風に表情を装って、下座側のラディアを睨む、ふりをして正面から視線を逸らす。

 だが、しかし。

 カチ、コチ、カチ、コチ――カチン。

 一際高く鳴る秒針の音。分針と秒針が、文字盤の十二を指す。
 次の瞬間、大時計のギミックが作動した。パカリ、と小気味の良い音を立てて胴体の仕掛け扉が開き、洞穴のような、あるいは魔物の口腔のような得体の知れない闇が覗く。
 そして、その闇の中から――拳大の白い「何か」が、飛び出してくる!


 ぐるぱっぽー、ぐるぱっぽー、ぐるぱっぽー、ぐるぱっぽー。


 中途半端な音程の、素っ頓狂なさえずりと共に。

 それは、豆鉄砲でも喰らったように間の抜けた顔をした、白っぽい鳥だった。
 ……鳩、らしい。
(やはり、焚きつけにでもしてくれるか)
 気の抜けるような顔とさえずりが、神経を逆撫でしていく。パルパレオスはこっそりと溜め息を吐いた。溜め息一つでささくれ立った精神が平穏を取り戻せれば、どれだけ良いだろう?
 叶わぬ願いを夢想した、その時だった。

「ふん」

 鼻で笑う声は、パルパレオスの真正面からだった。

「四時。四時だぞ、パルパレオス将軍。ところでこの会議は何時からの予定だったかな?」

 隠しようのない、いや、隠す気もないせせら笑いの調子と、回りくどい指摘。その矛先が自分に向けられているのを知り、パルパレオスは表情には出ないように歯を噛み締めた。
 いっそ、無視できれば。けれど矛先を向けられた以上、応じないわけにはいかない。例えそれが、不毛な水掛け論の幕開けであったとしても。
 深呼吸を、一つ。意を決して、彼は視線をラディアから正面に戻した。
 真正面に座るのは、声と同じせせら笑いの表情を浮かべる初老の男。組んだ両手を会議卓の上に置き、面白そうに薄く笑っている。
 どことなく窺える余裕の気配に、パルパレオスは僅かに視線を鋭くした。
「二時からだが、グドルフ将軍?」
 自然と語気も鋭くなる。パルパレオスの答えに、グドルフはクツクツと笑った。
「二時か。そう、そういえば二時であったな。会議は二時から、そういう知らせを受けて我らはここに集った。そうだったな、レスタット」
「そうですねぇ、グドルフ将軍」
 相槌を打つレスタットの声は、怖気がするほどに嗜虐心に満ちている。
「さて、会議が始まるはずの時間から、かれこれ二時間が経過したわけだ。ところで……」
 と、グドルフは視線だけを動かす。
 上座の空席へと。

「我らがサウザー皇帝陛下は、何をなさっておいでなのだろうか?」

 グドルフの視線が、パルパレオスに戻る。
 大事な会議をすっぽかすとは、サウザーの阿呆めは何をしているのだろうなぁ。
 その視線から彼が受け取ったのは、そんな嘲りのメッセージ。
 パルパレオスの体のどこか、具体的にはこめかみの辺りで、何かがブチ切れる音がした。

「では、私が陛下の様子を見てまいろう!」

 衝動のままに椅子を蹴倒し怒鳴り上げ、荒々しい足取りで戸口に向かうパルパレオスを、グドルフはニヤニヤと面白そうに眺めていた。










御前会議は今日も大変










「……で、何故お前がついてくる?」
「あんな会議室に残される方の身にもなってほしいんスけど」
 早足で歩くパルパレオスを、ゲッソリしたペルソナが追いかける。
 帝宮の奥まった回廊は、人通りもなく閑散としていた。元々この辺りは皇族の住居として定められた一画。皇帝サウザーが今もって独身でいるから、妃や皇子にあてがわれるだろうと想定されていた無数の部屋は空っぽのままだ。必然的に、この一画はサウザーと側仕えの侍官たちしか常駐しなくなる。
 寂しいものだな、とパルパレオスは感傷に浸った。サウザーと共に王家を倒し、権力を掌握したのは僅か数年前だ。あの頃は、いずれここに入るだろうサウザーの妃(と書いて物好きと読む)はどんな女性なのか、想像しては大爆笑したものだ。いやそもそも、あのサウザーが――一般的な意味合いとは異なるだろうとはいえ――妻子持ちだなんて、と。余りにも非現実的な想像に、いつまでも腹を抱えていた。
 しかし、あれから数年。情勢はいつの間にか様変わりし、もはや腹を抱えて笑うどころの話ではなくなった。
 キャンベルで神竜ヴァリトラに倒され、病床に臥すようになったのがほんの数ヶ月前。サウザーがろくに軍の指揮も取れないまま、反乱軍にキャンベルを奪われ、マハール総督府を落とされた。
 グランベロスにしてみれば、特にマハールの陥落が痛かった。。マハールはオレルスの要衝、そこをみすみす奪われた軍の力不足を不安に思う声が、帝宮の内外から聞こえてくる。そしてそれは、そのままサウザーへの微かな不信感へと変わっていっている。こんな一大事に、皇帝は何をしていたのか、と。
 サウザーが、おそらくはヴァリトラの攻撃が原因であろう病に倒れた事は、将軍たちを初めとする帝国首脳陣と、一部の侍官たちしか知らない。もちろん緘口令も布いてある。しかし人の口に戸が立てられないのが世の常なら、皇帝が病床にあるのも、いずれは知れる事だろう。
「しかし……」
 と、ペルソナが不意に声を発した。その声は静寂の中に予想以上に響き、彼は将軍らしくもなくビクリと身を竦ませた。それから、改めて声をひそめ、
「陛下はどうされたんスかねぇ」
「さてな」
「大体今日の御前会議は、陛下の発案ッスよね」
「さてな」
「……適当ッスね、パルパレオス将軍」
 ペルソナの恨めしげな眼差しを無視する。しかしその一方で、その疑問に対するいくつかの推測は立てていた。
 一番に考えられるのは、サウザーの容態が急変して、ベッドから出る事も叶わなくなった、である。しかしそれはないだろう。そうなった場合は侍医が真っ先にパルパレオスに報せを寄越す。それがないなら、サウザーの容態は安定している、という事だ。
 であるならば、サウザーは何故定刻に姿を現わさなかった?
 サウザーは時間にルーズではないし、重要な会議をすっぽかすようなやる気のない阿呆でもない。確かに変なところでいい加減だったり大雑把だったりしたが、それでもあの男はかつては売れっ子の傭兵将軍だったのだ。そういうところを疎かにするような者が到達できる地位ではない。
(サウザー、何があった?)
 疑問は焦燥となり、パルパレオスの足を早ませる。カツカツカツと靴の底を黒御影石のタイルに叩きつけ、いつしか小走りのスピードになっていた。後ろをついてくるペルソナなどは軽く駆け足である。そうして長い回廊を駆け抜け、二人はついに、大きな両開きの扉の前に立つ。
 重厚、という言葉をそのまま扉にしたかのようである。ろくに木も育たないこのグランベロスにおいては分厚く大きな木の扉というのはそれだけで貴重で贅沢で、精緻で美麗な彫刻を施さなくても、それだけで皇帝の居室の入り口には相応しかった。
 普段なら両脇に歩哨や取り次ぎの侍従が立つ扉の周辺は、何故誰もいなかった。一体これはどうした事だ? 特に歩哨は、親衛隊の隊員である。パルパレオスは、任務中に勝手に持ち場を離れるような教育を部下にはしていない。
 様々な疑問を胸に、彼は扉をノックした。
 しかし、扉の向こうからの応答はない。
 パルパレオスは律儀に応答を待つ。時間が流れる。ペルソナはオロオロと居心地悪そうに扉とパルパレオスを交互に見る。部屋の中からの声はない。パルパレオスは業を煮やす。深呼吸を一つ。張り上げた声に、ペルソナはギョッと表情を強張らせた。
「パルパレオスにございます。陛下、失礼しま――」
 言葉の途中から、パルパレオスは扉を開けていた。失礼します、と最後まで発音しないで、扉が開かれ、皇帝のプライベートルームが二人の眼前に晒される。

 そして二人は絶句した。

「おぉ、パルパレオス。それにペルソナか。遅かったな」

 悠然と、堂々たる佇まいで座する皇帝サウザー。
 二人はポカンと口を開け、目を馬鹿みたいに丸くして、その姿を穴が空くほど見る。

 そりゃもう、驚くっての。


 衣服は寝巻きではなくちゃんとした執務用の平服。これはまぁ、いいだろう。
 病人のはずなのにやたらと元気そうなのも、都合が良いからよしとしよう。


 ですが陛下。


 その手のブランデーグラスは何ですか?


「何やってんだお前はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 椅子の肘掛に頬杖を突き、空いた手で琥珀色の酒が入ったブランデーグラスを弄んでいたサウザーの脳天に、電光石火の速さで距離を詰めたパルパレオスの拳が直撃したのだった。



「お前は馬鹿かお前は馬鹿か!? 会議を放り出して何をやっていた何を! 親衛隊(うち)の歩哨に猿轡をかましてすまきにして、侍従たちに見張らせて!?」
「ふっ。何、少し遊んでいただけだ」
「遊び!? あれが遊びというレベルか!? うちの隊員を泣かせておいて遊びと言うかお前は!」
 パルパレオスは激怒していた。サウザーの首根っこを掴み、ズルズルと引きずって(比喩でなく、文字通りに、だ)、回廊の元来た道を歩く。その足取りたるやタイルを踏み砕かんばかりで、掃除が趣味のペルソナがハラハラした様子でついてくる。
「しかし、お前とペルソナが来るとは。少し予想外だったな。俺としては、業を煮やしたグドルフ辺りが来てくれれば……」
「……来てくれれば、何だ?」
 何となく嫌な予感がしながらも、パルパレオスは先を促さずにはいられなかった。
「色々楽しかったのになぁ、と」
「大概にしないと張り倒すぞサウザー!」
 こういう時、彼は自分の几帳面さだとか律儀さだとか付き合いの良さだとかを恨めしく思う。お定まりのように怒鳴りつけると、パルパレオスは視線を朗らかに笑っているサウザーに落とした。
「もう一度聞くが、何のつもりだったんだ。事と次第によっては、グドルフが喜ぶだけだぞ」
 サウザーとグドルフ。形式上は主君と臣下だが、実際は政敵である。
 旧王家を打倒して帝国を立ち上げたサウザーと、旧王家に仕える事で甘い汁をすすっていたグドルフ。その関係はまさに犬と猿、あるいは水と油。口の悪い者に言わせれば、今帝宮で行なわれているのは成り上がりの野良犬と権力大好き古狸のはた迷惑な派閥争いである。パルパレオスはその事を否定できなかった。
 どれだけ不本意な表現であってもそれは事実だし、だからこそ、パルパレオスはサウザーに無用な隙を見せてほしくはない。サウザーが会議室に入った時、グドルフが何を言うのか、それを考えるだけで気が重かった。
 しかしそんなパルパレオスの気を知ってか知らずか、彼の主君はニヤリと笑って、

「少しグドルフをおちょくりたくなっただけだ」

 その「おちょくりたくなった」で、こちらがどれだけ迷惑すると思っているんだ!

 怒鳴りたくなるのを必死で堪えていれば、傍でペルソナはげんなりと溜め息を吐いている。ふと目が合う。あぁ、お前も俺と同じ気持ちか、苦労を掛けるな。いえいえ、何か慣れてきたッスから。アイ・コンタクトで意思疎通、けれど傷の舐め合いはこのくらいにしておこう。
 今回の戦場、会議室の扉はすぐそこだ。
 パルパレオスはサウザーの首根っこを離した。途端、皇帝はすっくと立ち上がる。背筋を伸ばして胸を張るその姿からは、「病人」だとか「原因不明の病」だとかいう単語は窺えない。彼はたった一歩で先頭に立つと、威風堂々たる振る舞いで、自ら会議室の扉を開けた。
「諸君、では会議を始めよう」

 そんな言葉も、空しく響く――



 会議室の惨状に、パルパレオスとペルソナは愕然とした。



 まず目に飛び込んできたのは、石化したアーバインだった。愛剣エクスカリバーを大上段から振り下ろした姿勢のまま、苦々しげで憎々しげな表情を浮かべている。
 その剣の向く先、遥かに離れた向かって右側の壁際に、レスタットが倒れ伏していた。衝突の跡か、壁には円形のヒビが入り、アーバインの技でレスタットが壁に激突した、という経緯を窺わせる。全身の所々が焦げついていて、時折ピクピクと痙攣する辺り、とりあえずまだ生きているらしい。
 その次にパルパレオスの注意を引いたのは、パシィィンッ! という思わず首を竦めてしまう高い音だった。鞭が床に叩きつけられる音。瞬時にそれに気付いて、パルパレオスは音の方向、すなわち向かって左側を見やる。
 そこでは、鞭を構えたバーバレラと、棍棒を構えたゾンベルトが、息も荒く睨み合っていた。さしづめ、毛を逆立てて威嚇する猫と、身を低くして唸る犬、というところか。二人とも満身創痍の出で立ちで、ここが帝宮の会議室でなければ、壮絶な戦場を想起した事だろう。
 そう、会議室は既に戦場だった。ボロボロになった絨毯、カーテン。砕けた会議卓。散らばる椅子の残骸。隅っこに固まって怯えるそれぞれの将軍の侍従たち。彼らには最早、主たる将軍たちの人間関係なんて関係ない。寄り添う相手が主仇敵の部下であっても、それがどうした、今この時共にこの恐怖を乗り切る、寄り添う理由はそれで十分だ――

 と、いうか。

(一体何があった!?)

 開いた口は塞がらず、パルパレオスはただただ驚愕の悲鳴を胸中で上げるのみ。
 彼らから見て一番手前に入るラディアは、この混乱の中で、ただ一人、出ていった時と同じように眠っていた。唯一の変化は、彼女の周囲にアンデッド兵が展開している点。よく寝ていられるものだが、案外一回起きてメイクアンデッドでも使ったのかもしれない。
 そして、平然としているのがもう一人。


「おや、パルパレオス将軍、ペルソナ将軍、やっとお戻りか」


 その男は、余裕の漂う笑みさえ浮かべて、入り口に立ち尽くすパルパレオスたちに視線を向けた。
 何故か、その手には赤ワインの入ったグラス。
 グラスをユラユラと揺らし、漂う赤ワインの香りを楽しみながら、サウザーの宿敵グドルフは笑みを深くした。
「おはようございます、サウザー皇帝陛下。今朝は随分と寝過ごされたようですなぁ。目覚まし代わりに一杯、如何ですかな?」
 すると、サウザーも不敵に笑って応じる。
「要らぬ、グドルフ。どうせそのワインも、どこぞの商人より賄賂で貰ったものであろう。そのような薄汚いワインを飲む趣味は余にはない」
「おや、これはカーナ・ワインの一級品ですぞ? これを飲まないとは……――あぁ、そうでしたな。陛下はこのようなワインではなく、もっと庶民向けの、混ぜ物入りのワインの方がお好みでしたか。これは失礼をしました」
「見くびるな、グドルフ」
 強く、サウザーは言い切る。
 言ってやれ、サウザー! グドルフの嘲弄に頭に来たパルパレオスは、心の中でエールを送る。


「余は、ワイン派ではなくブランデー派だ」


 そっちか!

 ずっこけるパルパレオスとペルソナ。
 しかしそんな左右も何のその、サウザーはまるで意に介した様子もなく、戦場と化した会議室に一歩、足を踏み入れた。
 それはまさに、戦場を縦横無尽に掛け、戦争の天才とさえ謳われた傭兵将軍サウザーの威風堂々たる姿。

「では、会議を始めるとしようか」
「かしこまりました、陛下」

 まるで強敵に向けるような凶暴な笑みを見せるサウザー。
 この惨状で傷一つついていない椅子からゆっくりと立ち上がり、同じような笑みを浮かべてワイングラスを放り捨てるグドルフ。



 成り上がりの野良犬VS権力大好き古狸、ガチンコ水掛け論一本勝負、開始。






「……俺、掃除道具取ってきます」
「……あぁ、頼む」


 御前会議は、今日も収拾がつかなさそうだった。

 

 

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