走る。
 走る、走る、走る、走る、走る、走る、走る、走る、走る、走る、走る、走る、走る、走る走る走る走る走る走る走る走る走る。
 走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って――走っているのに距離は少しも縮まらない。
「――サラ、アイス、ホーク、『行け』!」
 ビュウは叫ぶ。息は切れ、顔と言わず背中と言わず全身汗だくで、汗どころか血まみれ泥まみれで、肩から先の感覚がなくなった腕はもう振る事も出来ず、剣をちゃんと握れているかどうかも定かではなく、走りすぎで膝はガクガクと笑い、ふくらはぎは痙攣し、足の裏はジンジンと熱を伴った痛みが脈打ち、骨が、筋肉が、肺が、細胞の一つ一つがもう走れないと悲鳴を上げている――というのに、まだ走って走って走って走って走らなければならない!
 ビュウの命令を受け、中空をつかず離れず飛行していたサラマンダー、アイスドラゴン、サンダーホークの三頭が、南東方向に向けて放たれた矢のようにまっしぐらに飛翔する。それを見送ると、肩越しに振り返る。
「――ラッシュ、トゥルース、ビッケバッケ、遅れるな! 遅れたら、今日の夕飯は、抜きだ!」
「そんなぁ、ご飯抜きは、酷いよ、アニキー!」
「と、とりあえず、突っ込むべき、は、そこではない、です、ビッケバッケ!」
「――ってかよぉ……」
 息も絶え絶えといった態のトゥルースに比べ、ラッシュはまだ余裕があるようだった。なら走れ。とにかく走れ。ひたすら走れ。呪詛のように念じるビュウに、弟分は真っ赤な顔で目を逆三角形にして怒鳴った。
「俺たち、今日、ちゃんと飯、食えるのか!?」
「知るか! 食いたきゃ――」
 と、やはり逆三角形に吊り上げた目を三頭の戦竜が飛び去った南東方向へと向けた。

「あの骨を、死んでも止めろ!」


 ――宵の帳が下りつつあるゴドランドの平野を、街に向けて驀進する影がある。
 それは、巨大な生物の骨格。くすんだ茶色の骨は何かの液体に濡れ、空のどこかに消えた太陽の残照にヌラヌラと不気味に照り輝く。大型の竜ほどもあるその姿は、しかし竜ではあり得なかった。下肢がなく、その代わりに巨大で極太の上肢があり、それを忙しなく動かして先へ先へと這い進む。
 竜ではなく、かといってビュウが知るあらゆる生物とも掛け離れたその骨格。
 その名を、ディジーザー。
 竜の骨から生み出された異形のアンデッド。その強大さゆえに創造主のラディアをして使役をためらわせ、秘密兵器・最終兵器という美辞麗句で以って培養槽に封印されていたあり得べからざる怪物。

 主の呪から解き放たれた化け物は、培養槽を食い破り、暴走する。
 ゴドランド市街を灰燼に帰すため。










彼女たちの福音











 サラマンダーの吐いた炎が、紺色に染まる空を赤く染め上げる。
 続けて二度、三度と閃く青白い光は、サンダーホークの雷か、それともマテライトの『インスパイア』か、あるいはウィザード隊の『サンダーゲイル』か。しかし、その光を背景にボンヤリと浮かぶ異形の影は進む速度を緩めようとしない。
 ビュウの指示を受けて、平野中に散らばっていた各隊はディジーザーの追撃のために集結している事だろう――しかし彼の脳裏に浮かぶのは、「焼け石に水」ということわざだった。何て嫌な言葉だ。酸欠になりつつある頭で毒づく。
 そして酸欠になりつつある頭は、堂々巡りの問いを馬鹿みたいに繰り返す。
 どうする? と。

 どうする? 焼け石に水。それはすなわち、決定打に欠ける、という事。
 どうする? ヨヨもセンダックも、先のラディアとの戦いで神竜召喚を使いすぎた。もう影すら呼び出せない――と悔しげに呟いたヨヨの声が、耳にこだまする。
 どうする? 自分たちの足で追いつけるか? マテライトたちヘビーアーマー隊は、ドンファン率いるランサー隊は、今どこにいる? 間に合うのか?
 どうする? 間に合ったところでどうするのだ? 剣や槍がそのまま通じるとは思えない。斧はかろうじて通じるか? 魔法は? それらはあの骨を止めるだけの力を持ち得るのか?
 どうする? どうする? どうする? どうする? どうする? どうする?

 その時だった。
 グルンッ!
 ディジーザーの頭蓋骨が、頚椎の上で百八十度回転した。
 眼窩の空洞に宿る赤い光が、進行方向の遥か先にあるゴドランド市街から、追いすがるビュウたちナイト隊に向けられる。
 瞬間、背筋を駆け上る寒気。ゾワゾワッと一気に肌が粟立ち、理性よりも早く感覚が危険を察知する。
 その感覚が、ビュウを叫ばせた。
「伏せろ!」
 同時にビュウは舗装された道の上に身を投げ出す。半瞬遅れてラッシュが、トゥルースが、ビッケバッケが、同じように路面に頭から突っ込んだ。それはさながら盛大なスライディングで――
 ゴゥッ!
 更に半瞬遅れて、四人の上半身が一瞬前まであった空間を黒い炎が薙ぎ払う!
 後頭部に感じる熱とも冷気ともつかない異様な温度。それが過ぎ去って、ビュウはかろうじて顔を上げると、弟分たちの無事を確かめる。ノロノロと上がったナイト三人の顔から表情がストンと抜け落ち、何か抜け殻になってしまったかのようだ。その表情を見るだけでありありと伝わってくる虚脱感。しかしそれは、何も三人に感化されているだけではない。
 立ち上がれない。
 腕に、足に、力が入らない。立ち上がろうと、身を起こそうとする。地面に手を突いて、しかしその傍から肘がカクンと折れて潰れた蛙のように敷石の上に再び這いつくばる。ビュウは歯を食い縛る。腕を、足を動かす。這ってでも進もうとする。だがちっとも進まない。力のこもらない指先は敷石の縁を掴む事すら出来ず、疲弊しきった下半身はあらゆる感覚を鈍磨させ、いくら空気を吸っても肺はちっとも膨らまず、そうしている内に目もかすんでくる。
(まずい――)
 視界が、狭まる。
 闇色に、沈む。
 意識が。
 遠、退く――



「ビュウさん!」



 ハッと――
 暗闇から引き戻されて、まず感じたのはほのかな冷たさだった。
 腕に、足に感じる心地良い冷たさ。焦点が上手く合わない視界で視線を彷徨わせれば、淡い水色の影がすぐ傍にいる事が判った。水色はローブの色だ。では、
「……フレ、デリカ?」
「そうです、私です! しっかりしてください!」
 常の彼女とも思えないほどに力強い口調だった。その声に横っ面を張り飛ばされたような気がして、ビュウはハッと顔を上げ、身を起こす。
 体が、動いた。
 どうして。さっきまであんなに動かなかったのに。それほど早く疲労が抜けるか――そして思い至る。『ホワイトドラッグ』。あのヒンヤリとした心地良さは、『ホワイトドラッグ』だ。
 そこでようやく隣を見るビュウ。膝を突いたフレデリカがそこにいた。不安と焦りをない混ぜにした表情で。
 改めてラッシュたちの方を見れば、ゾラが、ディアナが、ジョイが、三人を治療し、叱咤の声を掛けていた。それを認め、いつの間にか詰めていた息を緩々と吐き出す。
「……ありがとう、フレデリカ」
「いえ、それはいいんです。それより――」
 一瞬、馬鹿げた想像が頭をよぎった――フレデリカは夜行性ではないか、というものだった。そう思えるほどに、闇の中に浮かぶフレデリカの白皙の面は、普段ベッドに臥せっている彼女からは想像も出来ないほどに強く、凛としていた。柳眉を逆立て、普段は優しげな目元を僅かに吊り上げるフレデリカのその表情は、キリリと美しい。
「策は、あるんですか?」
 ビュウは視線が集まるのを感じた。『ホワイトドラッグ』で体力を多少取り戻したラッシュたちが、彼らを癒していたディアナたちが、ジッとビュウを見つめる。突き刺さる六対の視線。痛さすら覚える。それはすなわち、
「……ない」
「――じゃあ、俺たちはただ突っ走ってただけかよ」
 ラッシュの声が荒らげられていなかったのは、単純に、彼がまだ怒鳴るほどに回復していなかったからだろう――弱々しい非難の声を、ビュウは甘んじて受ける。無策のまま、無闇に走っていたのは事実だ。
 だが、他にどうしようがある?
 ラディアを下し、気が抜けたところでのディジーザーの暴走だった。
 体勢が整わないまま、市街地に向かって突っ走るディジーザーを止めざるを得なくなった。
 策なんか、練っている暇はない。
 ――自分の考えが余りに言い訳がましく、ビュウは思わず目を閉じた。ともすれば襲いくる自己嫌悪の波を必死で抑え、堪える。
「――なら、私たちから提案がございます」
 冷徹とさえ言える事務的な声音は、ジョイのものだった。トゥルースの治療を終えた彼女は、声と同様に冷徹で事務的な眼差しをビュウに向けている。そしてそれは、ディアナもゾラも同じだった。
 眼前の、フレデリカでさえ。
 沸いていた頭が一気に冷えた。
 何を馬鹿な事を。自己嫌悪に襲われている暇などないだろう。落ち着け。やる事はただ一つだ。
 言い聞かせれば早かった。ビュウは一つ深呼吸をして彼女たちに向き直る。
「話を、聞かせてくれ」
 そして彼女たちは話し出す。

 その提案にビュウは一度絶句し、それからそれを受け入れた。



 ディジーザーの勢いは止まらない。
 ビュウたちは再び走る。街までおよそ十キロ――というのはビュウたちが今いる場所からのおおよその目測で、ディジーザーと街の距離は、それよりも遥かに短い。途中へたばっていたランサー隊を蹴りつけ叱咤し、何とか追いすがっているはずのヘビーアーマー隊に追いつくべくビュウたちは走る速度を上げる。
 と、先程よりも更に深くなった宵闇の中に、やけに黒々とした煙のようなものが浮かび上がった。その禍々しいシルエットに、ビュウは心臓を素手で掴まれたような息苦しさを覚える。先程食らいそうになったあの黒炎だ。標的になったのは誰だ?
「――ふん、この程度の炎で焼き尽くせると思うたか! わしを誰だと思っておる、カーナのマテライトじゃあ――――!」
「マテライト殿、そんな大見得を切っていたら距離を離されるでアリマス!」
「そうですよ! 大体、今のが防御できたのだって私たちの『ディフェンス』があればこそなんですからね!」
 距離がかなり離れているにも関わらず聞こえてくる、マテライトの喚声と、タイチョーとバルクレイの突っ込み。ビュウは思わず安堵の息を吐き、
「フッ……要はアレアレアレ、ヘビーアーマー隊はしぶとく健在、という事だね、ラブリー・ビュウ!」
「誰がラブリーだ」
 軽口叩いている暇があったら足を動かせ――と呪詛のこもった眼差しを向けると、併走するドンファンはハッハッハ、と朗らかな笑い声を上げるだけでむしろだんだんと遅れつつあった。軽装のくせしてランサーは意外と足が遅い。
「チンタラしてたら置いてくぞ――マテライト、無事か!? 無事なら走れ、無事じゃなくても走れ!」
「む!? やかましいぞ、ビュウ! お前に指図されんでも、あの化け物を止める事にためらいはない! ――行くぞ者ども、小童どもに遅れを取るな!」
 街道の脇でちょっと変な感じに焦げていたマテライトたちが、追走に加わる。しかし重装のヘビーアーマーたちはランサー以上に足が遅い。それほどしない内にビュウたちが二つの隊より抜きん出る形になり、あっという間に置き去りにする。
 しかし、それでもディジーザーには追いつかない。まずい、このままでは――
 その時、ビュウたちが走る街道の脇をあっという間に駆け抜けていく影があった。
 影はあっという間にビュウたちを追い越し、ディジーザーを追い越す。そしてディジーザーの脊椎越しに、その影が異形と街の間に立ちはだかったのを見た。
 ルキアとジャンヌの力を借りた、ウィザード隊。
 彼女たちは杖の先端をディジーザーに向けると、宵闇を切り裂く凛とした声を張り上げた。
「フレイムゲイズ!」
 轟音。
 空気が瞬間的に膨張し、灼熱と赤炎を撒き散らして弾け飛ぶ。衝撃波がディジーザーを中心にして同心円状に駆け抜け、ビュウたちはたまらず足を止めて防御に構え、それをやり過ごした。そして、そうしている間にも、
「フレイムゲイズ!」
 再び上がる紅蓮の業火。炎は渦となって天を焦がし、肌をあぶる熱を四方八方に撒き散らす。その熱に嫌がるように――ついに、ディジーザーが動きを止める!
「――行くぞ!」
 弟分たちの応答も聞かないまま、ビュウは全速力を出した。この機を逃すわけにはいかない。何故ならこれは、フレデリカたちが作ってくれた時間なのだから。


 ――ウィザード隊の皆と、ルキアとジャンヌに頼んできたの。

 ――皆様が追いつかれるまで、ディジーザーの足止めをしていただきたい、と。


 彼女たちはその役割を果たしてくれた。ならば、次に役を果たすのは自分たちの番。ウィザードたちをいつまでも敵の鼻面に置いておくわけにはいかないし、何より、前線で体を張るのは自分たちナイトの役割だ。ビュウは迫り来るディジーザーの脊椎を睨む。ついに来たこの瞬間。とうとう取り落とす事のなかった双剣を構え、ビュウは、一際表情を険しくさせ――叫ぶ!
「フレイムヒット!」
 交差して掲げた双剣を、「八」の字を描くように振り下ろす。
 刹那、生まれ出でたのは炎の刃。赤々と燃え上がるそれはディジーザーの脊柱にぶち当たると、天を衝く炎と化して異形の背を舐めた。
 しかし、
(大して、効いてない、か!?)
 ディジーザーはピクリと身じろぎをしただけだった。僅かに背を逸らし、そのまま動かずジッとしている。まるで、「今何か当たったかぁ?」と呑気に鈍感に考えているかのように。あるいはそうかもしれない、何せアンデッドに痛覚なんて気の利いたものはない――どちらにしろ、動きが止まっている今しかない!
「フレイムヒット!」
「フレイムパルス!」
 ビュウが、ラッシュが、トゥルースが、ビッケバッケが、続けざまに炎刃を放つ。放ちながら走る。背中から、左脇へ、そして、ウィザードたちが立ち塞がるディジーザーの正面へと躍り出る。
「ぃぃやああああああああっ!」
「おおおおおおおおおおおっ!」
 ラッシュとトゥルースの雄叫びが響く中、ビュウは背後を振り返った。ウィザードたちは何度も『フレイムゲイズ』を放ったせいか、杖に体重を預けて荒い息を吐いている。メロディアが、恐怖に彩られた表情をビュウに向けた。
 ああそうか、そうだよな、怖いよな、でももう大丈夫だから。ビュウはメロディアに頷いていた。一瞬きょとんとした少女は、すぐに安心した顔を見せる。
 ビュウは、叫んだ。
「ウィザード隊は後退、ヘビーアーマー隊、ランサー隊はこいつを囲め! 一歩も動かせるな!」
 各隊は速やかに展開した。ライトアーマーの力を借りてウィザードたちは即座に退き、それと入れ替わるようにしてヘビーアーマー隊とランサー隊がディジーザーの右斜め後ろと左斜め後ろを塞ぐ。三方を囲む人間たちの姿にどう思ったのか、ディジーザーは頚椎の上で頭蓋骨をカタカタと左右に動かした。
 そして、おもむろに右の腕骨で地面を薙ぎ払う!
「ぐぅっ――!」
 呻き声は直撃を食らったヘビーアーマー隊からだ。しかし彼らには『ディフェンス』がある。ベキンッ。盾が砕ける音。メキメキッ。鎧が裂ける音。
 だが――彼らは、堪えきる。
 四人が密集して、襲いきた右の腕骨を体全体で食い止めた。止まるディジーザーの動き。その機を狙って、
「フレイムヒット!」
「フレイムダスト!」
 放たれるビュウとランサーたちの援護射撃は、ディジーザーの体を舐める炎と化す。痛覚はないだろうに、それでも苦しいのか、ディジーザーは混乱したように頭蓋骨をカタカタと揺らし、逃れるような身じろぎを繰り返した。炎はそんなディジーザーの全身を一瞬覆い、そして、
「ぬおおおおおおおっ!」
 ガゥンッ!
 マテライトが、タイチョーが、グンソーが、バルクレイが、自分たちの食い止めた腕骨に戦斧を叩きつける。ガゥンッ、ガゥンッ。何度も何度も叩きつける。重く鈍い音が何度も何度も響く。そしてついに、ベキリッ、枯れ木が折れるような乾いた音と共に腕骨が砕けた。
 腕を一本失い、体勢を崩すディジーザー。ビュウはそこに斬り込む。体を支えている左の腕骨に剣を叩きつけ、それにラッシュたちが続き、ガツン、ガツンと硬い音を奏でる。
「――ビュウ!」
 その悲鳴は誰のものだったか。ビュウには判らなかった。ハッと顔を上げた時には、口蓋に黒炎を灯したディジーザーの頭蓋骨がすぐ傍にあり、ビュウに出来たのは腕を掲げて顔を庇う事くらいだった。
 ゴゥッ――!
「――――――――っ!」
 熱いのか、冷たいのか。
 焼け爛れていくのか、凍りついていくのか。
 しかしそれは確実に苦痛だった。全身が無数の針に突き刺され、その痛みが皮膚と言わず内蔵と言わず体中をくまなく駆け巡る、悲鳴を上げずにはいられないほどの激痛だった。肉が焼け焦げ、あるいは腐り落ち、その異臭が鼻を突く。しかしそれに吐き気を覚える間すらなく、ただひたすら地面を転げ回りたくなるほどの激痛。痛覚が神経を占拠し、圧迫し、それ以外の全てが理解できなくなる。狂気に至る道に、一歩――
 踏み出す直前に、苦痛が全て掻き消えた。
 まるで、嘘のように。
 ビュウはハッと目を見開き、自分の今の状態を、顔を庇うために掲げた腕を、見た。
 何もなっていなかった。ビュウは立ったままだった。腕は――多少、黒ずんだ火傷のような跡がある。だがそれも、すぐに消えた。
 光。
 光が、降り注いでいる。
 キラキラと輝く、淡く青い光だ。それはビュウたちに、マテライトたちに、ドンファンたちに、均等に降り注ぎ、同じように黒炎を浴びた彼らの傷を問答無用に癒していく。見慣れたはずの光景はまるで奇跡の一場面で、彼らは皆一様に呆然と光がもたらす奇跡に目を瞠っていた。
 そして、光はディジーザーをも包み込む。優しく、この上なく優しく。
 途端、ディジーザーがもがきだした。先程火攻めにした時よりも、もっと激しく、もっとはっきりと、苦しがり、その苦しさから逃れようとジタバタと身悶えしている。しかしそうしている間にも光は降り注ぎ、ディジーザーの苦悶はいや増し、代わりにビュウたちの苦痛は消えていく。
 ビュウは、視線を巡らせた。
 ディジーザーの肋骨の隙間から、見えた。
 フレデリカがいた。
 その隣にディアナが立っていた。少し控える形でジョイのスラリとした立ち姿が見える。そんな彼女たちの先頭に立つのは、プリースト隊の隊長を務めるゾラ。
 杖を構え、厳しくも凛々しい表情で『ホワイトドラッグ』の詠唱句を澱みなく謡い上げている。


 ――あんたたちは、ディジーザーの足止めに集中するんだよ。援護は、ウィザード隊の分まであたしらがやるから。

 ――大丈夫です。絶対に、死なせたりはしません。


 ビュウは、笑った。
 清々しくも、凶暴な笑みだった。
 その笑顔のまま、彼は高らかに指笛を吹く。下手な援護でビュウたちを巻き込んではいけない、と後退していたサラマンダーがあっという間にやってきた。ビュウはその背に乗る。サラマンダーの飛翔。直後、ビュウは跳躍。その高さはちょうどディジーザーの頭蓋骨と同じ。
 右の剣を、横一線に振るう。
 ディジーザーの頚椎が呆気なく両断され、頭蓋骨が宙を舞う。
 放物線を描いた頭蓋骨も、残された胴体の骨格も、『ホワイトドラッグ』の光に浄化され、ついには塵となって――消えていった。



 ウィザード隊の黒魔法による援護では、包囲した前線部隊が被害を受ける。ならプリースト隊の『ホワイトドラッグ』で援護した方が、味方の回復にもなるし一石二鳥――
 という寸法だったプリーストたちからの提案だったわけだが、やはりそれだけで全快というわけにはいかず、結局怪我人はまた彼女たちの白魔法のお世話になった。
「……それにしても」
 所々に残る火傷とも凍傷ともつかない怪我をフレデリカに治してもらいながら、ビュウは今更のように訝しげな顔をした。
「『ホワイトドラッグ』がアンデッドに有効だったのを失念してたのは俺のミスだけど……『ホワイトドラッグ』って、あんなに効きが良かったっけ?」
 ここのところ、アンデッドとの戦闘が増えている反乱軍。プリースト隊は普段後方に置いているから滅多な事で戦闘には参加しないが、前に味方の回復のために放たれた『ホワイトドラッグ』が、そのすぐ傍にいたアンデッドを苦しめていたところをビュウは目の当たりにした。
 だが、それはひいき目に見ても牽制程度にしか役に立っておらず、ああやっぱりアンデッドには火かー、とやたらと納得したのは記憶に新しい。だから、彼もすぐには思い出せなかった――
 のだが。
「……え?」
 問い返すフレデリカの声が。
 表情が。
 余りにもぎこちなく。
 強張っていて。
「……フレデリカ?」
「え? あ、あの、その、ビュウさん、わ、私たち、その、何も余計な事は――」
 わたわたした彼女に向かって、隣でラッシュに消毒液をぶっ掛けて絶叫させていたディアナがハッと表情を険しくさせた。
「フレデリカ! 駄目よ、余計な事言っちゃ――」
 もう遅い。
 ビュウは、ニコリと笑う。
 つられて、フレデリカも笑う。
 ディアナも笑う。
 彼女たちの笑顔は強張っていて、
「……で、何をしたんだ?」
 ビュウの笑顔には、底知れぬ何かが秘められている。
 ディアナとしばし顔を見合わせていたフレデリカは、意を決した様子でこちらに向き直ると、申し訳なさそうに微笑んだ。

「……実は、『ホワイトドラッグ』の効果を上げるため、手に入れたドラッグロッドを全部モルテンに食べさせちゃいました」

 ……ドラッグロッドを。
 全部?
 って事は。

 ……戦竜育成計画(回復属性編)、全て、おしゃか?

「って、ビュウさんー!?」
「きゃあー、ビュウが倒れたー!」
 薄れゆく意識の中、ビュウの脳裏にはアーススレイヤーに進化させたアイスドラゴンの幻影が浮かんでおり――
 その姿が余りにも美しくて、ビュウは、ぶっ倒れながら滂沱と涙を流したのだった。

 

 

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