カンッ――!
木と木がぶつかり合う、やや高く、小気味が良い音。乳白色の朝靄を震わせ、波立たせる。
カンッ、カカッ、カッ! カァンッ!
音は断続的に続く。速く、更に速く、そして高く。それから一拍置いての音は、一際高く、大きかった。
音の源は、朝靄のただ中。
反乱軍の旗艦ファーレンハイト。その艦橋裏手のポッカリと空いた空き地で、物干し竿に見紛う長い木の棒を振り回す人影が、二つある。
一人はスラリとした長身の男だった。歳の頃は二十代も半ばか。前髪も襟足もやや伸び気味の赤髪に、垂れ目がちの碧眼。顔立ちは優男然としているが、木の棒を振るい、あるいは突き出すその表情には、獣のような獰猛さが垣間見える。
もう一人は、中肉中背の青年だ。長身よりも四、五歳は歳下に見える。長身が繰り出す棒の先端を、自分の棒で弾き、時には果敢に突き出す――僅かな焦りが見え隠れする真剣な表情、それが浮かぶ顔立ちは、どうにも地味で特徴らしい特徴がない。明るい茶色の髪と同色の双眸という、やはり地味なカラーリングがそれを助長している。
二人は、中ほどに滑り止めの布が巻かれた木の棒を振るう。突き、払い、打ち据え、抉り、引っ掛け、斬り裂く。その度に鳴り響く硬音。ともすれば音楽的に響くその連打もあいまって、二人の動きは舞踊のようでさえあった。
と、のらりくらりと攻撃を受け流されるだけだった青年の顔に、はっきりとした苛立ちが上った。彼は僅かに歯を食い縛ると、一つ深呼吸の後に――大きく、踏み込む!
青年が繰り出す、渾身の突き。長身の利き手である右腕を狙った。その突きは鋭く、速い。
もらった。
――そんな風に、青年が内心でほくそえんだ、その瞬間だった。
長身の右腕が、消えた。
そんな馬鹿な。青年の顔に上る驚愕の表情。余りにも致命的な隙。
そして、対する長身は、青年よりもずっとずっと上手だった。彼の表情には、得意げな笑みすら見えない。ただただ獰猛さと緊張を保ったまま、
地面に落ちようとしていた木の棒を再び右手で掴み、そのまま下からすくい上げるように先端を突き出して、青年の喉元で寸止めした。
「……参りました」
観念した表情で、青年――ゾラの息子はそう口にした。するとすぐに、喉元に突きつけられていた棒の先端が引かれる。
「はは、君もまだまだ甘いね、ゾラ女史の息子君」
魅惑的なテノールボイス。笑い顔はどことなく甘く、髪を掻き上げるその仕草は堂に入っていて、加えてキザだ。長身ことドンファンは、男であるゾラの息子の目から見ても男前で――中身は、まぁ、駄目人間一歩手前だが――、不自然さがどこにもないその笑顔や仕草が、少しだけ、本当に少しだけ、羨ましい(行状についてはちっとも羨ましくない)。
おまけに、槍術も自分より上手。落ち込むなぁ、とゾラの息子は溜め息を吐いた。
戦闘の最中に、武器を手放す。
そんな事、普通はやらない。
だから、空手になった右腕を軽く引くだけでこちらの突きをかわせたわけで――
そういう事が躊躇いもなく出来る、それがつまり、ドンファンと自分の戦闘経験の差だ。
さすがはマハールで随一の腕を持つと言われる槍騎士。構えを解いたドンファンは、それでも隙がなかった。重心の置き方だとか、槍の持ち方だとか。例えゾラの息子が不意を突いて打ち込んでも、反撃されるのがオチだろう。これもまた経験の差か、と苦笑して、ゾラの息子は頭を下げた。
「ドンファンさん、ありがとうございました」
「何、稽古に付き合うのも隊長の仕事だよ。
それで、だ、息子君」
はい、と生返事を返しながら、思う――「息子君」、その呼び方はやめてほしいなぁ。しかし、情けないかな、ゾラの息子は自分の本名を仲間たちに名乗っていなかった。
「我らランサー隊に先日生まれた大問題の事なんだが」
「……あぁ、あれ、ですか?」
ゾラの息子は、げんなりした声を上げた。思い当たる節は、一つしかない。
それは、三日前に起こったとある事件。
「あの後、僕はラブリー・ビュウに呼び出されてしまってね」
「あの人が『ラブリー』ってタマですか?」
「釘を刺されてしまったよ。『どうにか出来なきゃ、ドンファン、あんたが女子の半径十メートル以内に近付く事を禁止する』と、ね」
「良い事じゃないですか」
「というわけで、だ」
「僕の言う事は無視ですか」
本当に、どこまでも無視らしい――
ドンファンは、爽やかに、憎たらしいほどに爽やかに、ニカリと笑った。
「要はアレアレアレ……僕に力を貸してくれないかい?」
どこからか顔を覗かせた朝日が、朝靄を切り裂き、空き地を照らし出す――
ゾラの息子は、思わず肩を落として溜め息を吐いた。
「……そこで『要はアレアレアレ』なんて中途半端な事を言わなきゃ、格好良かったんですけどね」
それはさておき――
ランサー隊は現在、設立以来の未曾有の危機に瀕している。
中間管理職はつらいよ
呼び出されてやってきた少年は、不意に目を細めた。
そうすると、途端に表情に陰が差す。普段は柔和で、どこか気の弱そうな風貌だが、時折、ハッとするほど暗い表情を見せる。
まだ二十歳にもなっていないだろうに、とゾラの息子は痛々しく思う。歳相応の幼さが残る顔に、その陰鬱さは余りにも不似合いだった。
そんな少年に、ドンファンはいつも通りの快活な声を投げる。
「やぁ、フルンゼ君。どうかしたかい?」
「……いえ、ちょっと眩しくて」
照れたように笑うフルンゼ。その時にはもう、陰は鳴りをひそめていた。まるで、その暗さがこちらの錯覚だったのではないか、と思うほどに。
ファーレンハイト艦橋裏手の空き地には、昼前の日差しが燦々と降り注いでいる。その中、フルンゼがこちらにやってくるのを、ゾラの息子はドンファンの隣に控えて待っていた。
その手に、二本の木槍を持って。
同じように、ドンファンの手にも木槍が二本、ある。それを見て、フルンゼは不思議そうに首を傾げた。
「あの、一体何の用なんですか、ドンファンさん?」
「要はアレアレアレ……隊長の義務を果たそうと、思ってね」
「は?」
怪訝そうに顔をしかめるフルンゼ。その彼の背後、ゾラの息子から見ればフルンゼの向こうで、ガチャリ、と音がした。裏口の扉が開き、閉まる音。
「どうも、遅くなりましたっ!」
空き地に響く元気な声。フルンゼがギクリと身を竦ませる。
駆け込んできたのは、フルンゼと同じくらいの歳の少年。体格も同じくらいだ。焦りの表情と、取り繕うような強張りがちの笑みは、そのまま少年の心情なのだろう。感情が素直に表情に出る、それをゾラの息子は少し好ましく思った。
が、それが全て良い方向に働くはずもなく――
少年は、フルンゼがいるのを見て、ハッと表情を凍りつかせた。虚を突かれた、無表情。それを目の当たりにして、フルンゼは硬く、そして険のある顔をして、プイとそっぽを向く。途端に表情を一変させる少年。居心地が悪いような、釈然としないような、そんな何とも表現しがたいモヤモヤとした顔で、彼――レーヴェは歩いてきた。
「……それで、何なんですか?」
表情もモヤモヤとしていれば、声も何だか不満そう。素直で、あけすけで、装う事を知らない。ゾラの息子は思わず苦笑し、そしてドンファンは、
「このドンファン、これから少し士官らしいところを見せる、つもりだ」
相変わらず爽やかに、快活に――そして少し不敵で獰猛な笑みを浮かべて。
ポォン、と。
ドンファンは、持っていた木槍を二本とも二人に投げやる。
それを反射的に掴む、フルンゼとレーヴェ。
同時に、ゾラの息子は自分の持っていた木槍の一本をドンファンに渡した。
「二対二の、模擬戦をやろう」
――ランサー隊の不協和音は、ゾラの息子が反乱軍に参加した頃には既に奏でられていた。
きっかけは些細な事である。ふとした拍子にフルンゼがホームシックになり、レーヴェがそれを理解せずに放ったらかしにした。それだけ。
それだけの事が「それだけ」で済まない原因には、二人が故国カーナ陥落以前からの親友で、共に敗北の死地をくぐり抜けてきた、という来し方があり――
ドンファンが反乱軍に加わった頃には、二人の友情にはすっかり亀裂が入っていた。
ドンファンとゾラの息子、対、フルンゼとレーヴェ。
木槍を構え、対峙しあう。フルンゼたちの表情には、一片の余裕もない。ただただ緊張し、その片隅にちらほらと不満が見て取れる。
両者、石にでもなったかのような硬直。その中――
最初に動いたのは、ドンファンだった。
彼はスッと一歩大きく踏み出すと、レーヴェに対し木槍を打ち込んだ。カァンッ! 鳴り響く木の音。ドンファンの一撃を止めたレーヴェの表情が、驚きと衝撃に歪む。
しかしドンファンは立ち直る暇を与えない。そのまま素早く一撃、二撃と加えていく。カッ! カカカカカンッ! 打ち鳴らされる木槍の連打音。実戦さながらの猛攻に、レーヴェは防戦を強いられる。
反撃の隙を見せないほどに、ドンファンの槍さばきは凄まじかった。踏み込んでは突き、払い、斬り下ろし、薙ぎ払う。その動きは水の流れのように滑らかで、吹く風のように自由自在。そして燃え上がる炎のように――どこまでも、激しい。
一方、フルンゼはただそれを見ていた。半ば呆然と、レーヴェが一歩、二歩と後ずさるのを見つめている。おそらく、内心では葛藤が渦巻いているのだろう。加勢するか、否か。迷うように視線は揺らめき、彷徨い、腰が僅かに引ける。
そして、そこに、
ヒュンッ――
ゾラの息子は、表情を少しも変えないまま突きを繰り出した。
フルンゼの表情が、驚きと、僅かな恐怖で染まる。
反乱軍は、軍である。
グランベロスによって壊滅させられた、各国の軍の将から士官から兵卒、文官や民間人のような非戦闘員まで、とにかく戦う能力を多少なりとも持った者たちがグランベロス打倒の元に集った、寄せ集めの集団である。
寄せ集め。そう、寄せ集めだ。正規軍のような規律や指揮系統、練度は望めない、もしかしたら「軍」を名乗るのもおこがましい集団だ。
けれど、それでも反乱軍は、軍である。
行軍と作戦行動に支障さえ出なければ、ある程度の問題は見逃される。
極端な話、人間関係に支障をきたすような人格破綻者でも、きちんと戦闘に役に立てば、反乱軍上層部としては何の問題もないのだ。
が、それが作戦行動・行軍に支障をきたすとなれば、話は違ってくる。
カァンッ!
ゾラの息子の突きを、咄嗟に弾くフルンゼ。
しかしその動きは何とも唐突で、でたらめだった。フルンゼの構えが崩れる。隙だらけの胴体。ゾラの息子は、再び槍を振るう。
木槍の穂先が、フルンゼの顔をかすめた。
その衝撃でようやく、彼は我に返った。槍を構え直し、ゾラの息子の次の一撃を待つ。
しかしゾラの息子は、そこを踏み込んでいかなかった。半歩退いて場所を譲る。
誰に場所を譲ったかと言えば、
「――――っ!?」
フルンゼとレーヴェの驚愕の表情。
ドンファンだった。彼はゾラの息子と入れ替わるようにして一足飛びで距離を詰めると、フルンゼとレーヴェ、その両方に対し大振りな横一閃を繰り出す!
ヒュンッ――!
木槍の横薙ぎは、しかし斬り裂くような鋭さを伴っていた。フルンゼの鼻先と、レーヴェの腕をかすっていく。
生まれた隙を突く、ドンファンの怒涛の追撃が、始まる。
レーヴェに対し一歩踏み込む。袈裟懸けの一閃から、突き、槍を大きく振り回しての薙ぎ払い。薙ぎ払った槍を、今度はフルンゼに繰り出す。緩急をつけた突きの連打、時折混ざる蹴りや肘鉄といった体術、全身をバネにしたかのような渾身の突き。
ガカカカカカカカカカッ! 打楽器を高速で打ち鳴らしているかのような、木槍による連弾。それはいっそ心地良くさえ聞こえる。その中、ゾラの息子は冷静さを保って、三人の動きを観察していた。ドンファンの攻勢、レーヴェとフルンゼの防御。二人は攻撃に回れない。――いや、と目を細める。
レーヴェの全身に緊張がみなぎる。その緊張が、力となって足に集中する。グッ、と膝を曲げるレーヴェ。僅かに踵を上げ、木槍の穂先を地面に僅かに向けて、
「――やあぁっ!」
繰り出される、渾身の突き!
しかし、
(読まれちゃ、意味がないよ)
――カァンッ!
横から突進したゾラの息子の槍が、レーヴェの突きを払いのける!
愕然とするレーヴェ。そこに――ドンファンの槍が、襲いかかる。
ここのところ、特にグランベロスの哨戒部隊を出会う事もなく、順調に航行を続けていたファーレンハイト。
新たなラグーンに立ち寄る度に新たな仲間が加わる。それは戦力増強に繋がる喜ばしい事だが、しかし新参者は得てして古参の面子との連携がスムーズに行かないもの。
では暇な内に、と反乱軍全体を挙げての演習が、ビュウの音頭の元に行なわれたのが、三日前。
まず全体の指揮系統の確認。戦闘時における反乱軍そのものの指揮、個別の隊の指揮、その伝達経路などを再確認・再認識する。
次に、各隊ごとの役割配分。例えばナイト隊、ヘビーアーマー隊は前衛、ウィザード隊は後衛、ライトアーマー隊は遊撃と、戦場における大まかで基本的な役割を決める。
そこまで再確認したら、次はその役割に応じての模擬戦闘。武器は殺傷能力のない木製の物に持ち替え、敵と遭遇した時に各隊がどんな風に戦端を開き、援護するかを、あらかじめ決められたパターンに従って動いていく。
さて、ゾラの息子たちランサー隊は前衛援護。ナイト隊、ヘビーアーマー隊の後方について、サポートするのが仕事だ。
模擬戦の最中、ランサー隊はビュウの指示に従って『ジャベリン』を放った。もちろん、実際の戦闘で放つような殺傷力のある『ジャベリン』ではない。何せ武器は木槍で、しかも戦闘時のように戦竜たちの影響下にあるわけではないのだ。当たったところで全治一週間の打撲がせいぜいである。
ところがこの『ジャベリン』が、ナイト隊、というかビュウに直撃した。
放ったタイミングが、一人だけずれていたのだ。
そのため、三人分は狙い通りの地点に当てられたのだが、遅れた一人分が、三人分の着弾を確認した動き出したビュウに直撃した、というわけである。
ビュウは、きっかり三秒気絶し――
ムクリと起き上がった彼は、歳頃の女性が思わず見惚れてしまうような、素敵な微笑みを浮かべていた。
炎のようなオーラをまとい、目にギラギラとした危険な光を宿して。
ランサー隊は全員、顔を真っ青にした。
どうしようもなく、勘違いしようもないほどに、彼は――ブチ切れていたのだった。
ドンファンの槍は、縦に弧を描き、上からレーヴェの左肩に叩きつけられる。
ドゥッ!
「あぐっ――!」
打ち据えられた左肩を押さえ、レーヴェの顔が苦痛に歪む。歯を食い縛るが、それでも苦悶の呻きは漏れ出て響く。ダラリと垂れ下がった左手は、今にも槍を離してしまいそうだ。
しかしドンファンの攻撃の手は緩まない。遠慮する事も手加減する事もなく、苛烈な槍撃を目にも留まらぬ速さで繰り出していく。レーヴェはそれを、ほとんど右手だけで持っている槍で必死に防ぐ。けれど、ドンファンの攻撃は片手だけで防げるようなものではない――押し切られるのも時間の問題か、とゾラの息子は判断する。
それから、チラリ、と視線をフルンゼに向ける。
フルンゼは。
立ち竦んでいた。
焦燥と、困惑の表情で、一方的にやられるだけのレーヴェを、見つめていた。
左肩を打ち据えられ、防戦もままならない親友を。
結局のところ――
フルンゼは、どこまでも子供だった。
意固地で、根に持つ子供。フルンゼはどこまでも子供で、だからレーヴェの事を未だ許せず、その鬱屈した怨念のような思いを心の底で凝らせている。
その凝った思いが、フルンゼの動きを鈍らせる。戦闘で、レーヴェと並び立たなければいけない時も、レーヴェを助けなければいけない時も。それがタイミングのズレた『ジャベリン』となり、あるいは防戦一方の親友を呆然と見つめる心境を生む。
反乱軍は、軍である。戦闘に支障を出さなければ、人格破綻者であっても何の問題もない。
だからこそ、わだかまりを捨てられずにいるフルンゼは、問題だった。
もう一押しが必要か――
ゾラの息子は、レーヴェを攻め立てるドンファンを見る。
――この模擬戦を始める前に、ドンファンから与えられた指示はこうだった。
『基本的に、僕が二人を攻める。君は、必要だと君が判断した時だけ、僕の援護をしてくれれば良い』
――……もう一押し、攻める必要があるよね。
ゾラの息子は動く。レーヴェに向かって、音もなく近寄り――槍を、横薙ぎに振るう!
――その時、動く影があった。
ガツッ!
やや鈍く打ち鳴らされた、木の音。
ゾラの息子の接近に顔色を変え、今また新たに驚愕に目を見開くレーヴェ。
ニヤリと笑うドンファン。
そしてゾラの息子は、表情を引き締めながら――内心では安堵する。
フルンゼは、今にも泣き出しそうな、喚きだしそうな、けれど決然とした表情で、ゾラの息子の横薙ぎを受け止めていた。
カンッ――
ゾラの息子の槍が、弾かれる。
そして、
「――ぁぁああああああああああああっ!」
雄叫びと共に始まる、フルンゼの猛攻!
突き、突き、薙ぎ払い、振り下ろし、突き。今までになかった激しさと勢いに、ゾラの息子は舌を巻く。
(――けど)
タイミングを、計り、
(相変わらず、読みやすい!)
上段から振り下ろされるフルンゼの木槍を、ゾラの息子は軽く槍を添えて軌道を逸らすだけでやり過ごした。胴に隙を見つける。持ち手を変え、石突きをフルンゼの胴に向け――
ヒュンッ。
風切り音。
同時に頭のどこかが警告を発する。ゾラの息子は反射的にその場に身を屈める。
一瞬前まで頭のあったところを、貫いていったのはレーヴェの木槍だった。まだ左肩が痛むか、保持しているのは右手だけだったが、その鋭さは中々のものだ。
そこをドンファンが打ち込む。レーヴェの代わりに受け止めたのはフルンゼ。動きが止まったドンファンに、フルンゼの右手だけの突きが襲いかかる。ドンファンは飛び退いて距離を取る事でそれをかわし、そこに跳ねるように身を起こしたゾラの息子が飛び込んでいく。
四人の槍の穂先が絡まり、噛みつき合う。連弾よりももっともっと激しい連音。重なり、連なり、時折止む。それは最早一つの音楽だった。そして木槍を振るいあう四人の動きは、だんだんとワルツにも似てくる。
そして、それが打ち切られる。
打ち切ったのはドンファンだった。
彼は終始、ニヤリとした不敵で獰猛な笑みを崩さないままだった。最後までその微笑みのまま、それまで見せてこなかった鋭さで以って槍を振るい、持つのも限界に近かったレーヴェの右手から木槍を弾き飛ばし、打ちかかろうとしていたフルンゼの喉元に、突きあげるようにして木槍の穂先を突きつける。
ピンと張り詰めた緊張。一つ間違えれば命を取られてしまうのではないかと錯覚してしまうほどの、実戦さながらの。
そうして、どれくらい硬直していたか――
「……何だ」
ドンファンが出した声は、拍子抜けするほどに朗らかだった。
「やれば、出来るじゃないか」
満足そうに、そう言って――
槍を、引く。
緊張の糸が切れたか、フルンゼはクタリとその場に座り込んでしまった。思い出したかのように左肩を押さえるレーヴェも、また。
そんな二人に苦笑を見せてから、彼はクルリと背を向けた。足は裏口に向かう。木槍を左肩に担ぎ、右手をヒラヒラと投げやり気味に振って、
「これで、このドンファ〜ンの補習は終わりだ。後は君たちだけでやりたまえ」
どことなくキザで抜けている言葉を残すランサー隊隊長の背を、ゾラの息子は追った。
「……あの二人、どうにかなると思いますか?」
「さぁて、どうだろうね?」
艦内を倉庫に向かって歩きながら、ドンファンは肩を竦めた。ひどく軽い言い方、軽い仕草。無責任さを感じさせるそれが、しかしそうではないという事をゾラの息子は知っている。
「軍は学校じゃあないし、兵士は子供じゃないんだ。自分たちの問題くらい、自分たちで片付けてもらいたいものだよ」
グランベロスによるオレルス侵攻――
その中で、一、二を争うほどの激戦だったと言われるマハール攻防戦を生き抜いたドンファンは、時折ひどく厳しく、突き放した物の見方と言い方をする。仕官として彼がどんな地獄を見、味わってきたのか、無条件降伏をしたキャンベルの、名目だけの士官だったゾラの息子には想像も出来ない。
だが、
「それでも、きっかけはあげるんですね」
模擬戦で、二人はずっと手加減をしていた。
連携も、おざなりだった。
レーヴェとちゃんと連携を取れば、対抗できる――そんな風に、フルンゼに思わせるために。
「要はアレアレアレ……それが、隊長のすべき仕事、という奴さ」
と、茶目っ気たっぷりにウィンク。普通の男がやれば気持ち悪いだけのそれも、ドンファンがやると様になっている。ゾラの息子は苦笑した。
そして思うのは、あの二人の子供の事だ。
どこまでも意固地なフルンゼと。
そんなフルンゼに対し頑なになってしまっているレーヴェ。
かつてのような友情を取り戻すのは、まぁ無理だろう。けれど――
(――……それこそ、後はあの二人の問題、かぁ)
「さぁて、木槍を置いたら我らがラブリー・ビュウに報告に行くとしようか。ランサー隊の連携、改善の見込みあり、とね」
「だから、あの人は『ラブリー』ってタマじゃないですって」
ゾラの息子は、苦笑と共に肩を落とし――肩の力を、抜いた。
|