『医師の目』

その子を守ってあげて薛永、と彼女は言った。患者だった貴方に頼むのは筋違いだけど、と。アタシは涙をボロボロこぼしてハイ、ハイ、と何度も何度も頷いた。そしてそんなアタシの横で、萎れた花のように死んでいく母親を、幼子は医師の目で見つめていた。

 

『妙なる音楽』

今でこそ仏頂面のよく似合う安道全医師だけれど、あれで昔はよく笑う子だった。ねえせつえい、だっこして。そしてアタシが抱っこをすると、あの子はとても耳に心地の良い、音楽のような声で笑うのだ。あの声をまた聞きたいから、アタシはあの子を今日も肩に乗せる。

 

『別離』

「貴方は開封に残ってください、安道全医師」呻くように声を搾り出した呉用に、わしは何故かと聞かなかった。事情はもう全て聞いている。わしは江南に行けない。「心配しないでクダサイ医師」薛永が笑った。「アタシが医師の代わりに皆を治療しますカラ」だから帰ってきたら、また笑ってクダサイ。

 

『壮麗な籠』

訃報は目を通してすぐに握り潰してしまった。燭台の火でそれを燃やして、わしは外へ出る。目に痛いほど晴れ渡った青空。「薛永」わしはその名を空に呼ぶ。「薛永」アイサッ、と懐かしい声はどこからも聞こえてこない。ああ、お前はもういない。だからわしは、もうどこへも行けないのだ。

 

『そんな人生があってもいい』

貴方は宿星になれない、と宋江は言った。やっぱりな、と俺は思った。一〇八魔星だとか宿主だとか、そんなのは俺の性に合わないと思っていたのだ。だったら俺は嵐になろう。嵐となってこの国の空を覆う暗雲を全て吹き散らそう。俺という嵐が通りすぎた時、掃き清められた空に一〇八の星が輝くのだ。

 

『夢一夜』

戴宗に首を絞められる夢を見た。俺の首を絞めながら、戴宗はボロボロ泣いていた。馬鹿だなぁ、と俺は苦笑した。そんなに泣くなら首なんか絞めなきゃいいのに。苦笑した俺を見下ろして怯む戴宗。首を絞める力が緩む。俺はありったけの力で首にかかった手を外すと、なけなしの力で戴宗を抱き締めた。

 

『あ、あなたに作ったんじゃありませんっ』

戴宗さんが長い任務から帰ってきます。きっとお腹を空かせています。だから私は肉まんを作りました。……戴宗さんが、帰ってきました。私は肉まんを持って駆け出します。しかし私は王定六さんに転ばされ、「貰ったぁ!」手から宙へと舞った肉まんは跳躍した扈三娘さんの口に吸い込まれてしまいました。

 

『塩と算盤と僕の戦争』

机の上には中華の地図。手元には帳簿と算盤。珠をパチリと弾いて出した解をサラリと帳簿に書き込んで、さてと僕は腕を組む。塩と塩鈔の値段は絶好調上昇中。導き出した数字は、それで蔡京が得る利益の額だ。それをどう奪い取り、塩の値崩れを起こさせるか。僕が持ち得る数少ない戦争が、始まる。

 

『疑惑』

朱貴がナイフを放つ。刃の奔流。銀のきらめきが敵を押し流す。「やー、危なかったね戴宗君」ニハハと笑って白々しく言う朱貴へ、俺はふと尋ねた。「ところでおたく、それだけのナイフをどこにしまってるわけ?」「戴宗君……乙女にそういう事を聞くものじゃあないのよね」「おたくのどこが乙女だ?」

 

『若気の至りで愛の迷子』

「王進様に助けていただきました。救っていただきました。王進様あっての私、王進様のためなら何でも出来ます。お傍でお仕えしましょう。敵も殺しましょう。何となれば夜伽も辞しません。さあ王進様、遠慮なさらずに! カモーン!」王進は林冲を殴って気絶させると、二度と酒を飲ますまいと決意した。

 

 

 

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