紙銭を銅銭一貫分買う、と言ったら、小五はひどく驚いた顔をした。
 銅銭一貫と言えばそこそこ大金である。それだけあれば一ヶ月は食うのに困らない。紙銭でそれだけ使う馬鹿は普通いないだろう。
 が、誰のために焼くのかについて、小五は聞いてこなかった。彼が驚いたのは「戴宗が一貫分も買う」という点だけで、「戴宗が紙銭を買って誰かのために焼く」という極めて特異な行為に及ぶ点についてはノーリアクションを通した。それどころか、戴宗が何か言うより早く舟を出し、町まで買いに行くのも手伝ってくれた。

「――……一緒に焼いてやろうか?」

 梁山泊に戻ってきてから、小五は何気なさを装ってそう伺ってきた。もやい綱を結び終えて立ち上がり、改めてこちらを見やってくる視線には実に彼らしい気遣いの色がある。
 以前の戴宗なら、それをわずらわしく思った事だろう。邪険にした事だろう。だがとっくの昔に二十歳を過ぎてそれなりの分別を得た戴宗は、やはり何気なさを装い、

「いらね」

 そう、ぶっきらぼうに答えた。
 小五はそっか、と笑った。

 

 

 空が朱色に染まった頃、戴宗は買い込んだ大量の紙銭と薪を携え、梁山泊のほとりに立った。
 聚義庁から隔てられた、人気のない水辺。戴宗は無言のまま薪を積んで、その辺りから拾い集めた枯葉や木っ端を隙間に詰め込む。それから懐から火打ち石を出し、それで火をつけた。
 背中の伏魔之剣を使う気は起きなかった。
 火打ち石から飛んだ火花は乾ききった枯葉や木っ端を燃やし、しばらくの時間を使って薪も巻き込んで赤々と火勢を上げ始めた。
 パチパチと薪の爆ぜる音が響き始める。その焚き火の前に胡坐をかくと、戴宗は脇に置いていた紙銭の山から一枚、手に取って火の中に投じた。

 ――紙銭とは、弔いの品の一つである。
 それは死者に捧げる金だ。あの世で使える金として、燃やす事で死者の手元に届く。いわば生者から死者への仕送りと言える。
 あの世での生活に困らないように。そんな願いを込め、遺された者は紙の銭を焼く。

 戴宗は、紙銭を火に投じる。
 一枚、また一枚と焼いていく。
 銅銭一貫分。大量の紙銭である。それを一枚一枚焼く。全部焼き終わる頃にはすっかり夜になっているだろう。
 先の長さなど気にせず、戴宗は紙銭を焼く。
 一枚、一枚と焼く。
 無言。
 淡々とした無表情。
 しかし胸の内は、それほど静謐でもなかった。一貫分の紙銭。それを焼く時間は――……追憶に、もってこいだ。
(……こんな大金、そう見た事もなかっただろ)
 胸に浮かぶ一つの面影。
 その優しい笑顔が本当は大好きだったのだと、失ってから気付いた。

(なぁ、洪信)

 死んだ養父のために紙銭を焼くのは、これが初めてだった。
 この国では、親しい者が死ねば誰でも紙銭を焼く。事あるごとに焼く。それがこの中華での習いだ。
 だが戴宗は一度も焼いてやらなかった。
 幼かった頃は、生きるのに必死だった。己を鍛えるのに精一杯だった。それで言い訳が立つ。だが長じてから、替天行道の任務を難なくこなせるようになってからは、そんな言い訳は立たない。紙銭を何枚か買う金銭的な余裕も、何かの折にそれを焼いて捧げる時間的な余裕も、確実にあった。
 なかったのは、精神的な余裕である。
 養父を思い出し、その思い出を、その凄惨な死と向きあうだけの心の余裕が、戴宗には長らくなかったのだ。
 ずっと、目を背け続けていた。
 だがそれももう終わりだ。三十枚目を焼いて、戴宗は空を見上げる。
 血のような真っ赤な空。

 追憶にうってつけの空。

(――そういえば)
 紙銭を投じる手を一旦止めて、戴宗は胸の内の面影に語りかける。
(あの日も、こんな空だったな)
 空の色が導き起こすのは、戴宗の一番古い記憶。

 

 ――と言ってもそれは、そこまで鮮明なものではない。
 戴宗自身が自覚する、自分の一番古い記憶は、夕焼け空の下で泣き疲れてうずくまる三歳の己と、村の者たちの断片的な話し声だ。
 どうする、という戸惑いと、引き取るのは、というためらいと、売るしか、という残酷な声。三歳の戴宗にはその意味が理解できず、ただ恐ろしくて震える事しか出来なかったけれど、あれから二十年以上経って分別を身につけた今の戴宗には、その時自分の置かれていた状況が見える。
 人買いに、売られようとしていた。
 今はもうどこにもない生まれ故郷は貧しい農村で、誰も彼も余計な食い扶持を引き受ける余裕を持っていなかった。両親という最大の庇護者を失った戴宗は、孤児がたどる当然の末路として売られるはずだった。
 三歳の戴宗はおそらく、恐ろしさに震えていた。もう自分の家でなくなる自宅の外で膝を抱えて、両親が死んでその声も温もりも永久に失われてしまった事よりも、自分の明日が見えない事にただ恐怖していた。
 そんな時だったのだろう。ふと自分の目の前に誰かがしゃがみ込んだ。
 泣き腫らした目で、見上げた。

『――――君が、戴宗?』

 男。
 死んだ父と同じか、いくつか若く見える、包み込むような笑みを浮かべた男。
 小ざっぱりとした衣服が、この村の者ではないと告げていた。

『私は、洪信っていうんだ』

 戴宗はうんともへぇとも言わなかった。頷きさえしなかった。
 ただ見知らぬ男をぼんやりと見上げていた。

『今日から、うちの子におなり』

 ――それが戴宗の最も古い記憶で、養父との出会いの記憶。

 

 紙銭を焼く。
 燃え上がる。

 

 その日から戴宗は洪信と寝起きを共にした。
 戴宗の人生に笑顔で以ってスルリと入り込んできた闖入者は、あの夕暮れの大人たちの言葉で人間不信に陥りかけていた子供を大いに警戒させ、

『おはよう、戴宗』
『ほら、早く朝ご飯を食べなさい』
『お残しは許しませんよ』
『こら戴宗!』
『戴宗、どうしたのその怪我!?』
『大丈夫かい、戴宗?』
『大丈夫だよ、戴宗』
『戴宗』

『戴宗』

 ――大いに安心させたのだった。

 

 紙銭を一枚、二枚と火にくべる。
 煙が、朱から紫、藍へと変わりつつある空に立ち上る。

 

 洪信が戴宗を養子にした理由。
 そのはっきりしたところは、今もって判らない。
 阮三兄弟と彼らの母親――あの村の数少ない生き残り――が教えてくれて判った事と言えば、洪信が元々あの村の出身だというのと、生家は代々鍛冶屋だった事、その腕を振るいたくて都に上り、戴宗の両親が死んだ日まで音沙汰がなかった事。
 そして……洪信と、阮三兄弟の父と、戴宗の実の父は――幼馴染みだった事。
 だからだったのか、どうなのか。
 真相は、闇の中だ。

 

 焚き火が揺れる。
 薪がパチパチと爆ぜる音を奏でる。
 紙銭を、投じる。
 ――捧げる。

 

 洪信の子になってからの日々は、おしなべて平穏なものだった。
 家は貧しかったし、食べられたのはいつもあり得ないほどに不味い草粥。洪信が実の親でないからと、同年代の悪ガキ共にいじめられる事も増えた。何より、戴宗自身が洪信を父親と素直に認められずひねくれた。実に子供らしい頑なさでひねくれた。
 けれど洪信の人徳のおかげで野菜や麦を分けてもらえる事は多かった。特に阮三兄弟の父には事あるごとに余った魚をお裾分けしてもらっていた。いじめも、小五に何度かばってもらった事か。
 それは、今にして思えば夢みたいに平穏で、平和で、愛おしい日々だった。

 ――――――――――あの日まで。

 

 その日の事に思い至った瞬間、戴宗の手が止まった。もう半分以上なくなった紙銭の山の上で、新たな一枚を取ろうとした手が僅かに震えている。彼の意に反して、ブルブルと震えている。
 戴宗は、まるで自分のものでなくなったかのような手を見下ろす。その眼差しは、しかし凪いだ水面のように静かだった。
 その目を閉じる。
 一つ、二つと深呼吸。
 震えが、納まる。
 目を開け、紙銭を一枚取り上げた。
 焚き火に、落とす。

 

 洪信はともかく、戴宗は、その話を聞いた時から胡散臭いと思っていた。
 いや、その話を持ってきた男そのものを胡散臭く感じた。
 人にはあり得ない巨躯に、その体と相反する、寒気がするほどにおぞましい高めの子供の声。話の内容がどうこうではなく、その男の異様さが、異常さが、戴宗に疑念を抱かせた。
 その疑いはしばらくして現実のものとなる。皇族に献上する宝剣の作製。それは罠だった。洪信を利用しての暗殺計画は成功し、時の皇帝――先帝・哲宗は殺され、養父は逆賊の汚名を着せられた。
 そして決して深くない手傷を負って、都から村へと命からがら逃げ戻ってきた。

 あの男を、連れて。


 ――高俅。


 これでこの世に夜が来る。嬉しそうに紡がれた言葉。そんな事のために先帝を殺し、幼い先帝の異母弟を帝位に即けて傀儡にしている、あの男。

 洪信を、

 養父を、


 戴宗の眼前で、喰い殺した。

 

 ――グシャリ。
 その音で戴宗は我に返る。
 いつの間にか、紙銭を何枚か握り潰していた。意識しないまま握り締めた拳は白くなるほどに硬く強張って、その手を開かせるのに、戴宗は膨大な意志の力を必要とした。
 一本、また一本と指を伸ばしていき、やっと掌を開けば、カサリと乾いた音を立てて丸められた紙銭が地面に転がる。ほとんどゴミ同然になったそれを、それこそゴミでも捨てるように火の中に投げ入れた。
 意に反して握った拳を、見下ろす。
 まだ震えている。
 あの瞬間の洪信の笑顔の鮮やかさ。
「笑ってくれ、戴宗」と言った声の優しさ。
 養父を噛んで殺した高俅の、夜よりも暗い口腔の闇。
 人体を容易く噛み砕いた歯の、非現実的なまでの白さ。
 飛び散り、顔にかかった鮮血の、目を奪われるほどの赤さ。吐き気がするほどの生温かさと、ヌルリとした感触の気持ち悪さ。
 鍛冶場に転がっていた鉄クズよりももっと胸の悪くなる、むせ返るほどの鉄臭さ。
 ゴトリと落ちた右腕の、作り物かと目を疑うほどの「生」の色の薄さ。
 戴宗が振るった伏魔之剣を受け止めた姿勢のまま座す死体の残り部分の、奇妙なまでの安定感。
 砕けた剣の破片が照り返した陽光の、鈍い輝き。

 憎悪。

 喪失感。

 悲憤。

 己の、慟哭の声。

 何もかも思い出せる。二十年近く経った今も、ありありと、昨日の事のように思い出せる。蘇った憎しみは、悲しみは、嘆きは、怒りは、あっという間に戴宗の心を黒くあるいは赤く塗り潰し、我を忘れさせそうになる。
 フラッシュバック。いつだって戴宗の心を襲うそれ。養父を目の前で喰い殺された衝撃は、今も戴宗を奮い立たせている。同時に、今も戴宗を苦しめている。
 それは結局、高俅をこの手で殺し、焼き尽くすまで続くのだろう。その時まで解放されたいとは思わないし、解放されて忘れるくらいなら、いっそ苦しめられ苛まれ続ける方がよっぽどマシだ。
 そうだ。戴宗は今も怒り、憤っている。洪信を陥れ、殺した高俅に。
 そして――


 他ならぬ、洪信に。


 ……二十年弱だ。
 確かに思い出せば今も怒りと憎しみで我を忘れそうになり、心は殺意に染まるけれど、それでも、いい加減二十年近くが経ったのだ。
 自分の心のありようを客観視できるくらいには、戴宗も成長した。
 それでも戴宗がその感情――養父への怒りに気付いたのは、つい最近の事だ。きっかけは、何の事はない。

 こいつのために生きていたい、と思える女が出来たのだ。

 彼女と一緒に生きたい。
 彼女を一人残して死にたくなんかない。
 自分を失った彼女が泣いて、泣いて、泣き腫らして、酷い顔をして戴宗と同じように憎悪に取り憑かれて復讐を望むなんて、それこそ死んでも見たくない。
 復讐のためなら他人をどれだけ利用しても構わないと本気で考え、実践してきた戴宗の心は、いつの間にかそんな変化を経ていたのだ。
 その変化に気付いたら、今更のように怒りを覚えた。


『今すぐ逃げるんだ!』

『分かってくれ……お前だけでも……』

『叛徒は私一人で十分』

『ごめんな戴宗……』

『私の事は……忘れていい……』

『笑ってくれ、戴宗』


「――っざけんじゃねぇぞ、洪信」
 小さく鋭く低く吐き捨て、戴宗は紙銭を火に投じた。
 その手つきは、先程までとは打って変わって乱暴だ。
「なぁにが『ごめん』だ。『忘れていい』だ。『笑ってくれ』だ――目の前で死なれて笑えるかってーの」

 養父のあんな死に様を眼前で見せつけられたのだ。
 笑うどころか、忘れる事ももう出来ない。今でも夢に見てうなされるし、そのせいで眠りは浅いし、睡眠不足は慢性的で、症状の根の深さに気付いた安道全と薛永が苦肉の策で睡眠薬の投入を検討するほどだ。
 目の下の隈は、もう取れそうにない。

「大体俺は、あの不味い草粥は嫌いだったけど、別に特別美味いモンが食いたかったわけじゃねーんだ。たまに豚肉を一切れ食えれば、それで良かったんだ」

 そしてそれは、実のところ、如何にも怪しげな化け物もどきからの怪しい依頼を受けて大金を得るよりも、鍛冶屋の経営状況を少し見直せば容易に叶ったのである。
 支払い能力に乏しい貧乏人から搾り取る必要はない。客にはもう少し裕福な連中もいた。そいつらにそこそこ吹っかけてやれば、もう少し楽な生活が出来たはずだ。

「おたくは大体、八方美人すぎたんだよ。『皆笑顔、これが一番大事!』って、そういう事はまず俺に肉食わせてから言えっつーの。八方美人のせいで金なくて、俺に美味いモン食わせてやりたいからって金に目が眩んで、それじゃ世話ねーぜ」

 紙銭を投げる。どんどん投げる。文句とも雑言とも取れない言葉と共に、苛立ち紛れにポイポイ投下する。

「でもって罠に引っかかって、皇帝暗殺の濡れ衣を着せられて、怪我して村まで逃げ帰ってきて……俺の目の前で、あんな風に死にやがって」

 悲しさが込み上げる。
 憎悪も湧き起こる。
 だがそれ以上に、


「馬鹿野郎」


 腹立たしかった。
 そんな洪信が、腹立たしかった。

「いいか洪信、俺は、別に良かったんだ」

 美味い物が食えなくても良かった。
 不味い草粥で良かった。
 自分のために高俅の依頼なんか受けてくれなくて良かった。
 叛徒の子で良かった。

「一人になるくらいなら……おたくと一緒に叛徒になっても良かったんだ」

 結局、故郷の村は連座で潰された。
 その生き残りは――逃れきったおかげで、朝廷の方には知られていないが――今でも叛徒だ。
 戴宗は今でも叛徒の子で、今や立派な逆賊だ。
 洪信があそこで死のうが生き延びようが、その結果は多分同じだっただろう。
 洪信と共に村を逃げ出して、逃げ延びて。追っ手はどこまでもやってきた事だろう。村にいた時以上のひもじい思いをしただろうし、洪信をなじる事もあっただろう。
 二人で野垂れ死ぬ可能性も、追っ手に追いつかれて殺される可能性も、結局戴宗の前で洪信が死んで一人残されてしまう可能性も、あっただろう。
 けれど生き延びていれば――替天行道が、宋江や花和尚が、きっと助けてくれていたはずだ。
 皇帝暗殺の濡れ衣を着せられて逃亡中の親子なんてあの宋江が放っておくはずもないし、それでなくても、官軍に追われる者はとりあえず助けておこうというのがデフォルトの連中だ。
 逃げ延びられれば、二人、助かる確率は高かったのだ。

 だから、洪信は、死ななくて良かった。

 死んでほしくなかった。


 戴宗と一緒に、生きようとしてほしかった。


 少なくとも目の前であんな死に方をしてほしくなかった。
 あんな、どれほど嬉しい事が起こっても心の底から笑う事など出来なくなるトラウマを植えつける死に方なんて。
「……馬鹿野郎」
 紙銭が、燃える。
 一枚、また一枚と燃える。
 あの世の洪信に届けるべく燃える。
 戴宗の思いと願いを乗せて燃える。
「――そこで見てろ、洪信」
 すっかり残り少なくなってきた紙銭を、一枚、火の中へ。

「おたくの事なんか、忘れてやらねぇ」

 更に一枚、火の中へ。

「必ず、仇を取ってやる」

 投じた紙銭は、メラメラと燃えて煙となり灰となる。

「おたくの事だからきっと嫌がるんだろうな。でも俺は戦いをやめねぇぜ。高俅の野郎だって憎み続ける。他の誰の手も借りないで、一人でケリをつけてやる」

 それはこれまでと同じようで、しかし戴宗にとってはまるで違う、全く新しい決意だった。
 これまでの戦いは、高俅を殺すためだけの戦いだった。目的を達したらそこで終わるだけの戦いだった。高俅を殺し、焼き尽くした時、血まみれの自分は全ての目的を失って生きる事をやめただろう。
 その先に未来なんて、なかった。
 だが今は違う。この新たな決意は、未来に続くものだ。
 戦いは続ける。高俅への憎しみも抱き続ける。トラウマを捨てる気もない。洪信を忘れるなんて以ての外だ。養父の形見を振るい続け、いつの日にか、たった一人であの憎むべき男に伏魔之剣を突き立てる。
 そして全てが終わったその日――……戴宗は、やっと解放される。


 高俅への憎悪から。


 洪信の死から。


 最後の一枚になった紙銭を、火にくべる。
 薄っぺらい紙はあっという間に燃え上がり、一条の細い煙となって天へと昇っていく。
 戴宗は煙を目で追う。あの世は地下にあるというけれど、洪信は案外空の上にいて戴宗を見下ろし、見守っているんじゃないかと、何となく思う。天に昇ってもいいくらいの人徳が、養父にはあったのだ。

「なぁ洪信、俺、明日、結婚する」

 とっくの昔に青い闇色になった空では、宝石箱をひっくり返したような満天の星が、冷たく美しい光を降るほどに放っている。

「あんたは結局俺を笑わせちゃくれなかったけど、でも、あいつなら――翠蓮なら、俺を笑わせてくれる気がする」

 見てろ。戴宗は笑う。
 今の彼でも浮かべられる、皮肉な笑み。

「あんたのためじゃなく、あいつのために、俺は笑う」

 

 

前夜

 

 

 そうして新しい人生を始めるのだ。
 翠蓮と共に、光溢れる未来を生きてやる。
 見てろ、洪信。

 

 あんたがあの日諦めた生を、俺は、しぶとく笑って生きてやる。

 

 

 

 明星二次ではいつもお世話になっている『緋葬』の由良さんが、先日お誕生日を迎えられまして。
 せっかくなのでお誕生日プレゼント代わりに何か書かせてください、といったところ、いただいたリクエストが「戴翠に洪信を絡めて」でした。
 ……おい簾屋、翠蓮ちゃんの影が薄いぞ。これむしろ、「洪信・戴宗親子に翠蓮ちゃんをちょっと絡ませて」だろうが。
 そんなSSですが、由良さん、よろしければどうぞお納めくださいまし!(由良さんのみお持ち帰り可です)

 洪信パパが死ぬあの話を、思い返して。
 洪信パパはちゃんと戴宗を愛していて、戴宗のためを思っていて、戴宗のために生きて死んだんだろうけれど……いやでもさ、目の前で死んじゃいかんだろ。仮にも親なんだから。誰かのために死ぬ、って事は、実はそんな美談でもないよ。
 だから戴宗さんに「馬鹿野郎」と言っていただきました。
 戴宗+小五短編『夜の底』で、小五のために「馬鹿野郎」と言っていただいたけれど、ここでは彼自身のために「馬鹿野郎」と言っていただきました。
 そうやって自分を縛る鎖を断ち切って、幸せになるがいいよ戴宗さん。嫁と一緒にね!

 

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