書かれた字は―― 呉用は目を逸らして部屋の中を見回した。
(……酷いな) 口の中が酸っぱくて苦い。 「――……は……」 呉用は喉を震わせる。 「は……はは……」 虚ろな顔がぎこちない笑みを形作る。 「あはっ……はははっ……あはははははははははははっ……」 呉用の口から乾いた哄笑がこぼれて落ちる。 おかしかった。
君はもういないのに、僕はどうしようもないほどに生きている。
そんな自分が、僕は、恥ずかしくて浅ましくて仕方ないんだ。 |
――そんなネタで終わるわけがないのが簾屋クオリティ。やっぱり書いちゃった、「救い? 何それ食えんの?」ネタ! 晁蓋さんが死んだら、呉用先生はガチで情緒不安定とかになると思う。 こんな感じで、傍から見ると狂気一歩手前の精神状態になってるんだと思う。 そこから呉用先生はどうやって立ち直るのか。洋一はそれをどう描くつもりでいたのか。見たかったなぁ……。 あ、ちなみに、『星持たざる背』はこの呉用先生が本当に見ている夢、というわけではありません。 ちょっとややこしくなりますが、『星持たざる背』は『星持たざる背』で一つの確かな現実で、このおまけもこれはこれで一つの確かな現実。ある種のパラレルワールドといえば分かりやすいでしょうか? 晁蓋さんが生還した世界が『星持たざる背』で、亡くなられた世界がこのおまけ。まあそんな感じです。 生きていても亡くなられても梁山泊に君臨しているのが托塔天王・晁蓋だけれど、それでもやっぱり生きていてほしい。一〇八星の上に君臨するのは、星さえかすむ魂であってほしいのですよ(それはもう自分の水滸でやれよ)(もうほとんどそういうコンセプトで設定していますが、何か)。 |
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