笑ってくれ、戴宗……。


 バリ。


 笑ってくれ、戴宗……。


 バリ。


 笑ってくれ。


 バリ。


 笑ってくれ。


 バリ。


 笑ってくれ……


 バリ。


 バリ。


 バリ。


 バリ。


 バリ―――――――――






 ――――――――パキッ。

 燃え残った粗朶の砕ける音で戴宗は覚醒した。
 野宿のために起こした焚き火は炭と化した粗朶の中に微かに赤く残るのみで、僅かな煙が夜明け前の空に一筋上って掻き消えていく。
 煙の行方を追って群青色の空に視線を這わせれば、雲間に見える下弦の月は中天にようやく届くか届かないか、という高さ。最後に見た月の位置はもう少し東の空に低くて、計算すれば眠っていたのはせいぜい二時間もあるかないか、というところだろう。
 いつもの事だ。
 戴宗は起き上がる。その拍子に師匠が目覚めてしまった。普段は腰に提げた袋の中にいる師匠だが、眠る時ばかりは外に出て弟子の傍で丸くなる。億劫そうに目を開け、丸まったまま見上げてくる師へ、戴宗は頭を下げた。
「起こしてしまって申し訳ありません、師匠」
 師はいつものようにブーと鳴く。機嫌が良い時も悪い時も同じ高低、調子だが、そこは弟子の面目躍如、ごくごく僅かな差を聞き取るくらいわけない事。途中で目を覚まさせられて不機嫌な師匠は、不機嫌なまま鼻面を再び自分の丸めた体に埋めた。ブー、と一声残して。
 それはまるで、これから弟子がしようとしている事を「ほどほどにしておけ」と溜め息混じりに黙認しているようで――

 戴宗は立ち上がる。

 手には伏魔之剣。
 師匠が眠る木の根元から十分離れたところで、クズ鉄を寄せ集めてようやく剣の形を成している大剣を構える。
 素振りを始める。
 上段から振り下ろし、下段より振り上げ、中段で払う。突きから転じて左に一閃、袈裟懸けへと至る。

 ――もっと速く。

 素振りはいつしか見えない敵との戦いに変わる。敵は役人、数はたくさん、得物は朴刀。囲まれている。戴宗は剣を振るう。切っ先は大きく弧を描き、その太刀筋が包囲網の一部を怯ませる。特攻にも紛う突きで切り崩し、目にも止まらぬ速さで斬り散らかして穴を広げる。

 ――もっと速く。

 敵は迫る。戴宗を追ってくる。踵を返す戴宗。伏魔之剣を振るう。思うままに薙ぎ払う。

 ――もっと速く。

 そうして剣は炎をまとう。しかしすぐに消える。持続しない。速度が足りない。戴宗の額に汗が滲む。すぐに玉となって流れ落ちる。息が上がる。腕が重い。

 ――もっと速く。

 それでも戴宗は剣を振るう。見えない敵を全て灼き斬るかのごとく。がむしゃらに、ひたむきに、一途に。

 ――もっと速く。

 刃のない伏魔之剣が、炎の刃を得るほど速く。
 自らが炎をまとうほど速く。
 養父が憎い仇に噛み砕かれる音を追い越し、血色の悪夢を振り切り、何もかも置き去りにするほどに、速く、速く、速く。
 神速の剣を。
 あの男を一刀両断できる速度を。

 ――だが、まだ足りない。

 腕に限界が来る。華奢な戴宗の身体は、それほどの速度を長時間維持するほどに出来上がっていない。腿は痙攣し、腕は痺れ、握力はなくなり、あ、と思うよりも早く伏魔之剣が手からすっぽ抜けた。回転しながら地面を這い、左手の灌木に突っ込んでやっと止まった大剣を、呆然と見送る。
 肩を上下させるほどに息は上がっている。
 顎からポタポタと垂れて乾いた地面に染みを作るほどに汗は流れ出て止まらない。
 戴宗はチッと舌打ちする。袖で汗を拭い、大きく深呼吸して無理矢理息を整え、素早い足取りで灌木に歩み寄る。

 ――まだだ。

 こちらに向けて突き出している柄を握り、持ち上げる。

 ――まだ足りない。

 何もかもが足りていない。
 腕力も、体力も、脚力も、速度も、覚悟も憎悪も殺意も。

 ――あいつを殺すのに、全然足りてねー。

 身も心もすっかり覚醒してしまった。今更眠れそうにない。
(笑えねぇ)
 それがどうした? 悠長に寝ていられるものか。何もかも足りていないのだ。満たすためには体をどこまでもどこまでも苛め抜いて、腕力を、体力を、脚力を、速度を身につけなければ。
 どこまでもどこまでも、覚悟を憎悪を殺意を研ぎ澄ませなければ。
 再び剣を構える。
 素振りを、見えない敵との演舞を再開する。炎は思い出したように上がり、紫紺の空を紅蓮の色に点滅させる。

 夜明けは、まだ遠い。



闇の道程

 

 

 

 戴宗さんの目の下の隈はこうして濃くなっていった、という話。(それ違う)(って言うか、そうしたら子戴宗さんの隈は?)

 

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