この物語はフィクションです
実際の明星樊瑞とは、全然全くこれっぽっちも関係がありません
そんな偽者樊瑞を電波電波と呼んでいた構想中、一番の電波は簾屋の脳味噌です。
というわけで電波樊瑞が電波を受信する電波な中編『カオスの蝶』でした。タイトルからして既に電波。
たった三コマしか登場していない樊瑞を書く予定など、元々はありませんでした。
けれど件の魔の領域・ツイッターにて何故か樊瑞ブームが到来し。
ついそのテンションに乗せられて「自分で書くならどんなネタがいいかしら」と考えてしまい。
そんな事を考えつつ別のネタのために老荘思想について調べていたら、林田愼之助『「タオ=道」の思想』(講談社現代新書)という本と出会ってしまい。
脳内でビッグバン発生。一体何をどうトチ狂ったか、「老子の言う『道』って、カオス理論っぽくね?」とか思ってしまったのが運の尽き。気が付けばこんな物語が生まれていました。
ちなみに作中で樊瑞が得た真理は、この時の脳内ビッグバンで簾屋の脳内に実際に生まれたものです。何ちゃってカオス理論と何ちゃって老子の思想で出来ています。多分色々間違っておりますので、ご指導ご指摘、お待ちしております。
樊瑞について。
よくまあここまででっち上げたものだと自分で感心しています。
樊瑞が禁術の書を持ち出した件について、こんな話を書いておきながら、私は今でも心神喪失系(禁術に魅入られて操られてるよルート)か愉快犯系(禁術っていうおもちゃで遊びたくなった世ルート)のどちらかだと信じて疑っていません。間違っても、この中編で書いたような偽悪者系(本当はこんな事したくないけど、しないといけないからやっちゃうよルート)ではないと、胸を張って言えます。
では何故こんな樊瑞を書いたか? ――や、だって、心神喪失系か愉快犯系は誰かが書いてくれるでしょ。だったら簾屋は簾屋にしかない発想で書くべきでわ!
……その結果がこれでした。狂ってますごめんなさい。
全くの余談ですが、目視による自然観察で、フラクタルはともかく1/fの揺らぎ(火の揺らめきの波長の事です)とカオス(ある要素が時が経つにつれ予想もつかない現象を引き起こしうる事です)は認識できるものじゃありません。ではそれに気付いた樊瑞は何なのか? 精神が「向こう側」に行っちゃった電波なんじゃないの?
どちらにしろ、精神性だけならそこらの仙道を軽く凌駕してしまったがために理解されにくい行動に走らざるを得なくなった樊瑞と、そんな兄弟子の精神の変容など知る由もないが故に「禁術に魅入られた愚かな兄弟子」としか思っていない公孫勝。
こいつらが戦いの中で再会したらどうなるか――構想がなくはないのですが、明星では影も形も出てこなかった樊瑞のお供二人を出さなければならず、それは二次創作ではやってはいけない領域なので絶対にやりません。樊瑞の道術は、脳内で捏造しちゃったんですが。
続編フラグは早々にへし折っておきます。
とにかく、そんな偽悪者もしくは悪役としての樊瑞が書けて簾屋はとっても楽しかったです。
で、今更のようにお断り。
実はこの話、オリキャラ満載のようでいて、少なくとも名前の出たキャラでオリキャラは一人もいません。羅真人、何玄通、共にちゃんと原典に登場しているキャラです。
羅真人様はご存知公孫勝のお師匠様。燕雲十六州の一つ、薊州は九宮県の二仙山で紫虚観という道観(道教のお寺)を構え、日々のんべんだらりと修行しております。水滸伝最強生物の一人・李逵を道術であしらったりする愉快な仙人です。
何玄通は、羅真人門下ではないのですがやっぱり原典に登場する道士です。登場箇所は原典第七十一回、一〇八星が勢揃いして天罡地煞の名前が刻まれた石碣が出てきたくだりです。石碣を読んでくれた人が何玄通です。
ただし性格は全部捏造です。特に何玄通殿に関しては申し訳ないと思っています。
そんなこんなで俺得中編『カオスの蝶』、これにて終了でございます。
訳の解らない、電波そのもののお話にここまでお付き合いくださり、本当にありがとうございました!
○参考文献
合原一幸『カオス まったく新しい想像の波』講談社、1993
林田愼之助『「タオ=道」の思想』講談社、2002
加島祥造『タオ――老子』筑摩書房、2000
アンリ・マスペロ、川勝義雄訳『道教』平凡社、1978
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